数年前までは「副業は会社への忠誠心に関わるからやるな。」という意見が多数でしたが、しだいに考え方が変わってきています。
正社員の副業後押し 政府指針、働き方改革で容認に転換 | 日本経済新聞
私たちは将来年金がもらえるか分からない世代なので「副業やるな」と言う意見には正直困っていました。
本業をもっと真面目にやればいいじゃないのという意見はあると思いますが、現場から言わせてもらうとそれができない人の数はかなり多いと思います。
日本人は一人当たりの生産性が低いというデータが出ていますが、その意味していることは一人一人の能力が職場で十分に発揮されていないということです。
本来は今働いている会社内で新しい事業を始められれば理想的なのですが、なかなかそうはいきません。
私の例を挙げると、私は以前、表の作成を手書きでやるように指示されていたことがあります。「そんなんExcelでやるのが当然でしょ。」と思ってExcelを開くと後ろから上司が覗いていて「なんで言った通りにやらないんだ!」と怒るわけです。他にもこうした例は山ほどあって、戦うよりは1人で副業始めたほうが早いんです。日本特有の縦割り文化が一人一人の生産性を削いでいることは間違いないと思います。
縦割り社会は良いところもたくさんありますが、今の状況では弊害が多い。
理由を考えてみると、経済が成熟したからではないかと思います。洗練されすぎてルールが細かくなり、論理がガチガチで熱意の入り込む余地があまりなくなってきています。
その昔、高度経済成長の時期には今ほどきめ細かくなかったというか、大雑把だったという印象を、昔の映画などを見ていると感じるしそうだったという話を聞きます。
昔めちゃくちゃ人気があった『社長シリーズ』という映画があります。私は世代ではないのですが父親が見ているのをそばで見たことがあります。
その社長シリーズは社長の森繁が会社でいろんなハプニングを巻き起こしていく喜劇なのですが、そのギャグがめちゃめちゃ大雑把なんです。喜劇だからふざけてるわけですが、なんかこう、今の時代だとここまで思い切ったことできねえってことをどんどんやっていきます。
まあセクハラはしょっちゅうだよね。あと社長が経営に悩んでいるときに秘書役がやってきて「賄賂をやればいいんですよ。」みたいなことをさらっと言ったり。正直今の倫理観だと笑うだけでどこかの秘密結社から命を狙われるようなネタが多いですが、昔は今なんかより寛容でそういうことを笑えるキャパシティがあったんです。
当時はそういったことを許容して笑うっていう文化があったんだなあ、自由な時代だったんだなあということを、昔を知らないなりに映画を観ながらすごく感じます。
そんな自由な雰囲気の中で、細かいことを気にするなって空気の中で、じゃあ社員一丸となって世の中良くしていこうっていうのが日本の企業の原型だったのだろうと思います。
そのやり方で成功して、時が経って、成長力が鈍って、だけどやり方は変えられず、しかも今まで積み上げたものを崩さないために細かなルールをどんどん作って、だんだん息苦しくなって、洗練されはするけど人間味は失われてきて。っていうのが今なわけです。
リーマンショックの時に、一部で「資本主義は終わるんじゃないか」というような言説があっていろんな人がいろんなことを言っていました。その中で雑誌の『ナショナルジオグラフィック』は歴史の同時性に着目して「マチュピチュがどうして滅んだか」という特集を組みました。
覚えていることをざっくりいうと、ものすごい高地にマチュピチュという豊かな文明が存在できたのは、高度な治水システムが存在したからだといいます。治水システムっていうのは水道の管理技術のことです。微妙な傾斜をつけて水を街の隅々まで行き渡らせるという匠の技をマチュピチュは持っていました。
そんな文明が突如として滅んでしまいます。なんで滅びたのか原因は今なお定かではありませんが、ナショナルジオグラフィックの出した結論は、「あまりに治水システムの維持が煩雑すぎて職人さんのやる気がなくなっちゃったのではないか。」ということでした。
一見ふざけた意見ですが、私は納得しました。はるか昔のマチュピチュの水道屋さんと自分を重ねて共感してしまったんですね。歴史ってのは繰り返すんだなあと、そう思いました。
ルールがギュウギュウに詰め込まれていて息苦しいんです、組織の中で働いている若い連中は。私は健康診断の結果が悪くなりましたから。職を離れたら治りましたので、そのことから健康を左右するのは「食事」「睡眠」「運動」「職場」であるという結論が導けます。
最近も駅でクレームつけられた駅員が「もう嫌だ!」と叫んで走って逃げたなんてニュースがありましたが、そういう気持ちすっごくわかります。あ、私は今は職場を変えたのでのんびりやってますよ。
会社の中で新しいことがしにくいのだから、やはり副業という形でやるしかない。日本人一人一人はとても優秀だなんて話がありますが、組織にいると空気読んじゃって周りに遠慮するこの民族がもう一回奮起するには、まずは1人とか小さい単位で新しいことにチャレンジしていくのがいいのではないかと思います。
これは「日本人は集団で強い」といわれてきたこととは真逆の意見ですが、最近は1人から今までにないようなムーブメントがよく起こっています。日本映画しかりピコ太郎しかり。匿名で「日本死ね」って書いたら国会で取り上げられたり、個人ブログが大手キュレーションサイトを攻撃したら大手企業が尻尾巻いて逃げちゃったり。従来にない新たな価値は、個人から生まれています。だって侍の国だもの。