尾張屋

ビジネスやスポーツで「勝ち」にこだわる漢(おとこ)なら、『孫子』の名言は押さえておこう

『孫子』に何が書いてあるか、一言でいうなら「勝つための原理」だ。

中国のもっとも古い、またもっとも優れた兵書だが、その深い思想は「戦争でどう勝つか」のみならず、あらゆる勝負事に応用が効く。

「ビジネス」「スポーツ」「受験」「人間関係」「自分自身」に勝つために、現在も世界中で読み継がれている古典だ。

まとめるような書物ではないけど、読んだのだから記録に残そうと思います。

『孫氏』ではない

まず、『孫氏』と思われている方が多いようで、Googleの検索数を見てみると月間1300回も『孫氏』で検索されているが、『孫氏』ではなく『孫子』だ。

そして『孫子』は著者名ではない。「子」は「先生」くらいの意味で使われていたから、『孫子』は「孫先生」となる。これが書物の名前にもなっている。原作は「孫武」で、その後様々な人が編集に携わって現代の孫子が出来ている。

『孫子』の特色

1.戦わずして勝つ

『孫子』で教えるのは武力に頼って勝つ方法ではない。考えをめぐらし、戦わないで勝つことが最善だと解く。

そして、戦うにしても、計算上勝てることをはっきりさせ、利益が見込める場合のみ行動を起こす。

さらに、戦いが不利な場合は逃げるか隠れるかし、無謀な戦いはしない。

2.主導権を握ることの大切さを説く

味方の準備を万全に整えて、敵の準備が整っていない所を撃つのが『孫子』での戦い方だ。

自軍の態勢を整え、敵より有利な土地を占め、敵がどこを攻めたら良いのかわからないようにし、敵より先に動いて、勢いづいて、集中攻撃をする。

そして、敵に隙ができるのを待ち、利益で釣ってぐずぐずさせ、不利な土地にし向け、攻めやすい態勢を取らせ、どこを守ったら良いかわからないようにし、内部分裂させる。

こうして自分に有利に、敵には不利にし、主導権を握れば敵を思うとおりに動かせると説く。

3.味方にも厳しい

味方に対する冷徹さも特徴だ。

「軍を滅ぼし将軍が死ぬのは、兵士を愛しすぎるからだ」という一節がそれをよく表しているだろう。

そして、将軍の仕事とは、兵士の英気を養い、行く先を知らせず、他に行き場のない危険な地に一気に投入することである。そうすれば兵は団結して死んでも敗走することがない。

このように教える一方、兵を子供のように愛すれば共に死地にも行ける、といった教えもある。厳しく、優しく。

『孫子』本編より

以下、現代にも通じると思った箇所や、僕が感動した箇所を抜粋していきます。あくまでも、孫子は全編を通して一つの兵法であり、前後のつながりがあるから、抜粋することで流れがつかめなくなる弊害があることを理解してください。

五事七計

戦争は国にとって大切なことだからよくよく考えなければならない。すなわち、五つの事柄を考える必要がある。

第一は、君主と民衆の心を一つにすることについて

第二は、時について

第三は、土地の状況について

第四は、将軍の才能について

第五は、法律について

これら五つのことについて、以下の七つの目算で比べなければならない。

1.敵と味方とでどちらの君主が人心を得ているか

2.将軍はどちらが有能か

3.時と地理はどちらに有利か

4.法はどちらが厳守しているか

5.軍はどちらが強いか

6.兵隊はどちらがよく訓練されているか

7.賞罰はどちらが公平か

これらによって、あらかじめ勝敗を知ることができる。

兵は詭道なり

戦争とは騙し合いである。強くても敵には弱く見せかけ、利益で誘い、敵が謙虚な時は高ぶらせ、仲が良い時は分裂させる。こうして敵の不意をつくのである。

戦わずして勝つ

戦わずして計算して勝つのは、先の五つの事柄と七つの目算に従って考えた結果、勝算があるからである。計算して勝てないのは勝算がないからである。だから、計算して事前に勝敗をはっきり知ることができる。

まずくても素早く切り上げる

戦争には莫大な費用がかかる。戦いが長引くのでは軍を疲弊させることにもなる。だから戦争には、ダメでもすばやく終えるというのはあるが、うまいこと長引くという例はない。

国家が軍隊のために貧しくなるのは、遠征の場合に遠くに食糧を運ぶからだ。だから智将はできるだけ敵の食糧を奪って食べるようにする。敵の一鐘を食べるのは味方の二十鐘分に相当する。

百戦錬磨はすごいことではない

戦争の原則としては、敵国を傷つけずに降伏させるのが一番良く、戦って屈服させるのはそれには劣る。だから百回戦って百回勝つというのは優れたことではない。

そこで、最上の戦争は敵の計画を破ることであり、その次は敵の外交関係を破ることであり、その次が軍隊を倒すことであり、その下は敵の城を攻めることである。
それゆえ、戦争の上手な人は無傷のままで勝利を得るのである。

強気でばかりいるな

味方の軍勢が十倍であれば敵軍を包囲し、五倍であれば攻撃し、倍であれば分裂させ、ひとしければなんとか戦い、少なければ退却し、力が及ばなければうまく隠れる。弱いのに強気ばかりでいるのは、敵の捕虜になるだけだ。

彼を知り己を知れば百戦危うからず

勝利を知るには五つのことがある。

1.戦うべき時と戦うべきでない時を知っていれば勝つ

2.大軍と小勢の運用を知っていれば勝つ

3.上下の人々が心を合わせていれば勝つ

4.よく準備をして、準備していない敵に当たれば勝つ

5.将軍が有能で、君主がそれに干渉しなければ勝つ

だから、敵を知り味方も知れば百戦しても危険がない。

昔の戦いに巧みだった人は、誰にも打ち勝つことのできない態勢を整えて、敵の態勢が崩れて打ち勝てる形になるのを待った。
味方を打ち勝つことができない態勢を整えることは自分のことだからできるが、敵が打ち勝てるような態勢にさせることは敵の問題だからできない。

勝利をよみとるのに、一般の人々と同じ程度の感覚しか持っていないのではだめだ。戦争して勝って人々がほめるのでは、最高に優れたものではない。
太陽が見えるというのでは目が良いとはいえず、雷が聞こえるというのでは耳が良いとはいえない。
昔の戦いに巧みといわれた人は、普通の人では見分けのつかない勝ちやすい機会をとらえて打ち勝ったものである。
だから、戦いに巧みな人が勝った場合には、目立った勝利はなく、名誉もなければ手柄もない。彼がおさめた勝利のすべては、すでに負けている敵に勝ったものだからである。
それゆえ、戦いの巧みな人は不敗の態勢を整えて、敵の態勢が崩れる隙を逃さないのである。
以上のようなわけで、勝利する軍は開戦前に勝利がわかってから戦争しようとするが、敗軍は戦争を始めてから勝利を求める。

千尋の谷を水が落ちるように

勝利者が兵士を戦闘させる時は、ちょうど満々とたたえた水を谷底へきって落とすように勢いよくする。

定石と奇法の使い分けについて

およそ戦闘というものは、定石どおりの正法で敵と会戦し、奇法で打ち勝つのである。
だから、うまく奇法を使う軍隊は天地のように終わりがなく、長江や黄河の水のように尽きることがない。
過ぎてはまた来る四季がそれであり、暗くなり明るくなる月日がそれである。音階は宮、商、角、徴、羽の五つに過ぎないが、その五音階が組み合わさった音楽は無数で聞き尽くすことができない。色の原色は青、黄、赤、白、黒の五つに過ぎないが、五色の組み合わせの変化は無数で見尽くすことができない。
同様に、戦闘の勢いは奇法と正法の二つに過ぎないが、二つの組み合わせの変化は無数で極め尽くすことは出来ない。

人材に頼らず勢いに頼る

部隊が乱れるか治まるかは編成の問題である。臆病になるか勇敢になるかは勢いの問題である。弱くなるか強くなるかは態勢の問題である。

そこで、戦いに巧みな人は、勢いによって勝利を得ようと求めて、人材に頼ろうとしない。勢いにまかせて兵士を戦わせるのは、木や石を転がすようなものである。木や石は安置しておけば静かだが、傾斜したところでは動き出す。そこで、巧みに兵士を戦わせたその勢いは、高い山から丸い石を転がしたほどにもなる。

5分前行動がどれほど大切か

孫子はいう。先に戦場にいて敵の来るのを待つ軍隊は楽だが、後から戦場にはせつける軍隊は骨が折れる。

最高の境地について

攻撃の巧みな人は、敵はどこを守ったらよいかわからず、守備の巧みな人は、敵はどこを攻めたら良いのかわからない。微妙、微妙、最高の境地は何の形もない。神秘、神秘、最高の境地は何の音もない。そこで敵の運命の主宰者になることができるのだ。

そこで、敵にははっきりした態勢をとらせて、こちらでは態勢を隠して無形ならば、こちらは敵の態勢に合わせて集中でき、敵はわからなくなって分散する。
その結果、こちらの十人で敵の一人を攻めることになる。こちらが戦おうとする場所が敵には分からないと、敵はたくさんの備えをしなければならず、前軍に備えをすると後軍がおろそかになり、後軍に備えをすると前軍がおろそかになり、どこもかしこも備えようとすると、どこもかしこもおろそかになる。
小勢になるのは相手に備える立場だからである。大勢になるのは相手をこちらのために備えさせる立場だからである。

戦いの前に相手を知るためには、敵情を目算し、敵軍を動かせてみてその行動の規準を知り、敵軍と小競り合いをしてみて優勢な所と手薄な所とを知るのである。

軍の形の極地は無形になることである。無形であればスパイもかぎつけることができない。
相手の態勢に乗じて勝利は得られるものであるが、一般の人にはその形を知ることができない。人々は味方の勝利を知っても、どのようにして勝利したのかは知らない。
だから、その勝利には二度と繰り返しがなく、相手の態勢しだいに対応して窮まりがないのである。

そもそも軍の形は水の形のようなものである。水は高いところから低いところへ地形のままに流れるが、軍の形も敵の備えをした所を避けて隙のあるところを攻撃するのである。
だから、軍にはきまった勢いというものがなく、きまった形というものもない。うまく敵情のままに従って変化して勝利するのが、神妙というものである。

遠い道を近くする

機先を制するための争いほどむつかしいものはない。軍争のむつかしいのは、遠い道を近道にすることだ。
そこで、遠回りしているように見せかけ、敵を利益で釣ってもたつかせ、相手よりも後から出発して先に行き着く、それが遠い道を近道にするはかりごとである。

風林火山

戦争は敵の裏をかくことを中心とし、利のあるところに従って行動する。
だから、速いこと風のごとく、静かなること林のごとく、侵略すること火のごとく、わかりにくいこと暗闇のごとく、動かざること山のごとく、動くこと雷のごとくして、万事についてよく見積もった上で行動する。
相手に先んじて遠い道を近道に転ずるはかりごとを知るものが勝つ。

兵の統制について

古い兵法書には「口で言ったのでは聞こえないから太鼓や鐘の鳴り物を備え、指し示しても見えないから旗やのぼりを備える」とある。鳴り物や旗は兵士の耳目を統一するものである。兵士たちが集中統一されているなら、勇敢な者でも勝手に進まず、臆病者でも勝手に逃げない。これが大部隊を働かせる方法である。
朝方の気力は鋭く、昼は衰え、暮れは尽きてしまうものだから、戦争の上手な人は、相手の鋭い気力を避けて衰えたところを撃つ。また整った状態で混乱した相手に当たり、戦場の近くにいて遠くから来る敵を待ち受け、充実して疲労した相手に当たる。また、充実した敵陣には攻撃を仕掛けない。

イエスマンではダメ

君名は受けてはならない君名もある。

物事を多面的に見る

智者の考えというものは、必ず利益と害を合わせて考える。利益になることはその害になる面も合わせて考えれば仕事はきっと成功するし、害のある事はその利点も合わせて考えれば心配事も解消する。

情報操作について

外国の諸侯を屈服させるにはその害になることばかりを強調し、使役するには魅力的な事業をし向け、奔走させるにはその利益になることばかりを強調する。

人を頼りにせず自分で準備を整える

戦争の原則としては、敵の攻撃してこないことを頼りとするのではなく、攻撃できない態勢がこちらにあることを頼みとするのである。

将軍が死ぬ原因ベスト5

将軍にとっては五つの危険なことがある。

1.必死にやるだけで計算しないのは殺される

2.生き残ることばかり考えているのは捕虜にされる

3.短気なのは侮られる

4.欲がなくて清廉なのは辱められる

5.民を愛するのは煩わされる

軍隊を滅亡させて将軍が死ぬのは、必ずこの五つの危険のどれかである。

敵の行動から実体を読み解く

敵の言葉遣いが丁寧で守備を増強しているのは、進撃の準備である。言葉遣いが強硬で進行してくるようなのは、退却の準備である。行き詰まった状況もないのに講和を願ってくるのは、陰謀があるのである。

上官がおずおずと物静かに兵士達と話をしているのは、みんなの心が離れているのである。しきりに賞を与えているのは士気がふるわず困っているのである。しきりに罰しているのは軍が疲れているのである。

兵士をよく従わせるために

戦争は兵員が多いほど良いというものではない。ただ猛進しないようにして戦力を集中し、敵情を考えていくなら、十分に勝利を収めることができよう。
兵士たちが将軍になついてないのに懲罰を行うと彼らは心服せず、心服しないと働かせづらい。
兵士たちがなついているのに懲罰を行わないでいると彼らを働かせることは出来ない。
だから恩徳でなつけて刑罰で統制するのであって、これを必勝の軍という。
法令が普段からよく守られているなら命令しても服従するが、法令が守られていないのに命令するのでは服従しない。

敗北の原因ワースト6

1.十倍も多い敵を攻撃するのは軍を逃げ散らせる

2.兵の実力が強くて取り締まる上官が弱いと軍を緩ませる

3.上官が強くて兵が弱いと軍を落ち込ませる

4.上官が怒りに任せて勝手な戦いをするのは軍を崩れさせる

5.将軍が軟弱で兵士たちにきまりがないのは軍を乱れさせる

6.将軍が敵情を考えることができないのは負ける

すべてこれら六つのことは、敗北の道理である。将軍の最も重大な責務として十分に考えなければならないことである。

国家の宝について

合戦の道理として、こちらに十分の勝ち目のあるときは、主君が戦ってはならないといっても戦うのがよろしく、勝てない時は、主君が戦えといっても戦わないのがよろしい。だから、功名を求めないで進み、罪に触れることも恐れないで退いて、ひたすら人民を大切にした上で、主君の利益にもあうという将軍は、国家の宝である。

兵をわが子のように見る

兵士たちをかわいいわが子のように見れば、それによって兵士たちと生死を共にできるようになる。しかし、かわいがるだけで命令することができず、でたらめをしていても止めることができないのでは、それはおごりたかぶった子どものようで、ものの用には立たない。

有利な状況を作ることについて

昔の戦争の上手な人は、敵軍の前軍と後軍で連絡ができないようにさせ、身分の高い者と低い者が互いに救い合わないようにし、兵士たちが離散して集まらないようにさせ、集まっても整わないようにした。こうして味方に有利な状況になれば行動を起こし、有利にならなければまたの機会を待ったのである。

おたずねしたいが、敵が大軍でこちらを攻めようとしている時にはどのようにして対処したらよかろうか。答え。相手に先んじて敵の大切にしているものを奪取すれば、敵はこちらの思いどおりになるであろう。戦争の実情は迅速が第一である。

将軍の仕事とは

およそ敵国に進撃したばあいのやり方としては、深くその国内に入れば味方は団結する。兵士たちを保養して疲れさせず、士気を高めて、その上で軍をどこへも行き場のない状況に投入すれば死んでも敗走することがない。
兵士はあまりにも危険な立場に落ち込んだ時にはそれを恐れない。軍隊は求めなくても力戦し、拘束せずとも親しみ合い、法を定めなくても誠実である。そしてそういう軍隊に起こりがちな占いごとを禁止して疑惑のないようにすれば、死ぬまで心を外に移すことがない。

将軍たる者の仕事は物静かで奥深く、正大でよく整っている。兵士の耳目をくらまして軍の計画を知らせないようにし、策謀を更新して人々に気づかれないようにし、任務を与えるときは高いところへ登らせてからはしごを外して戻れなくし、決戦を起こすときには、羊の群れを追いやるようにする。どこに向かっているのかはだれにもわからない。全軍を集めてすべてを危険な土地に投入する。それが将軍たる者の仕事である。

およそ敵国に進撃した場合のやり方としては、深く入り込めば団結するが浅ければ逃げ散るものである。

普通のきまりを越えた重賞を施し、普通の定めにこだわらない禁令をかかげるなら、全軍の大部隊を働かせるのもただの一人を使うようなものである。軍隊を働かせるのは任務を与えるだけにして、その理由を説明してはならず、軍隊を働かせるのは有利なことだけを知らせて、その害になることを告げてはならない。

国を安泰にすることについて

戦って勝っていながら戦果を収められないのは不吉なことで、無駄な費用をかけている。
だから、聡明な君主は有利でなければ行動を起こさず、利益がなければ軍を動かさず、危険が迫らなければ戦わない。
怒りに任せて戦うべきではない。怒りは解けるが滅んだ国は戻らないからである。
これが国を安泰にすることである。

おわりに

孫子は兵法の古典である。昔は誰もがこれを兵法の基礎として学んだ。そのため、誰もがその戦略を知っていた。

誰もが戦略を知っているということは、その戦略は敵に読まれやすいということでもある。

紀元前204年、中国の漢の将軍「韓信」が趙の将軍「陳余」と戦った「井ケイの戦い」では、孫子の兵法が逆手に取られた。

韓信軍3万人に対して、陳余軍20万人。

孫子には、「敵の10倍の兵力があれば包囲せよ」と書いてある。

そのため、陳余軍は韓信軍を包囲する作戦を取った。

また、孫子には「有利な土地を占めるべき」ことが書かれているから、陳余は山側に陣を張る。

一方、韓信軍はあえて川を背にして軍を配置する。川のそばは追い詰められたら逃げ道が無いから、不利な土地である。孫子の教えと矛盾する。

しかし、結果は韓信に軍配が上がった。

川を背にして軍を敷く韓信を見て、陳余は「あいつは兵法を知らない」とあざ笑った。それを、韓信は狙っていた。

陳余が孫子の言葉通り「水がせき切って流れるように」韓信に攻撃を浴びせかけると、韓信軍は後が無いから決死の覚悟で戦った。

その時、韓信の指示であらかじめ隠れていた2千人の韓信軍が飛び出し、空になった陳余の城を占拠してしまう。

陳余軍は負けたと勘違いし、大混乱に陥って、兵は散り散りに逃げてしまった。

この話が「背水の陣」と呼ばれ、今日まで残っている。

兵法の細々とした戦略にとらわれる前に、まずは「相手と自分を知ること」と「計算して戦う前から勝つこと」を第一に考えるべきだろう。