尾張屋

豊かさの指標がお金にあるかというと、けっこう違うこともあるという話

ブラタモリ、実家に帰った時にたまに見ます。私の家にはテレビがないからです。

あの番組面白いですよね。なんでもないように見える町や村をブラブラ歩きながら、「昔は○○があった」「こういう考え方だったのでこう作ってある」ということをタモリと一緒に学んでいきます。そして昔の人の知恵や過去に起こった出来事などに思いを馳せて、これから自分たちがどうしたら良いのかの知見を得ることができます。

旅は知っているか知らないかがその楽しみを左右します。知っていれば含蓄のある町も、知らなければどこにでもあるような風景です。

大げさなことを言えば、人生は旅みたいなものなのでどれだけ心が豊かかどうかが楽しめるかどうかを分けるといえます。

お金がたくさんあるからといって豊かだとは限りません。もちろんあった方がいいし私はお金大好き人間ですが、そこが全てではない。

たとえば美味しいものを食べているはずなのにまずいってことあるじゃないですか。

私の知人にうつ病だった人がいましたが、その人が言うには「何を食べても砂利を口にしているようだった」そうです。

私もゾンビのように働いていた時は食事がまずかったですね。昼休みに1000円のランチ食べてもうまくない、ばかりか、なんか泣けてくる。あの味は忘れられません。

反対に、食べ物が十分に食べられなかった時代を生きた人から、「飢えて死にそうな時には塩を舐めただけでものすごく力が湧くんだ」という話を聞いたこともあります。感覚がものすごく鋭敏になっているのでしょうね。

だからもっと心を豊かにすることが大事です。何を得るかよりどう感じるか。

「同じ授業を聞いても成績が違う」ということが学校では起こっています。これは単純に記憶力や要領の差なので、成績が悪いことがバカだということではありませんが、これからの多様性の時代にはあらゆる面でこうした認識力の差が問われるのだろうと思います。

考えるな、感じろ!

ブルース・リー