七夕の出来事について書こうと思っていたら、あっという間に10日たってしまいました。
月日が経つのは早いですね。
この歳になると、「うかうかしていたらいつのまにか人生の日が暮れてるだろう。」ということを感じることが多くなります。30代半ばです。
そのため、職場でも仕事以外の付き合いにあまり参加していませんが、これは焦っているためですのでご理解いただけると幸いです。
面と向かってそういう真面目な話をする機会もなかなかないので、この場を借りてお詫び申し上げます。読まれているかわからないけど。
七夕にコンサートに行った思ひでを書こうと思ったのですが、ただの思い出話ではつまらないし、なにかしらひねりが欲しいと思っていたのですが良いのが思いつきません。
そこで、とりあえずは筋肉について書こうと思います。
筋トレを始めて1ヶ月ほど経ちました。
少しずつ肉が付いてきました。筋肉は素直です。巷では「努力したものが必ず報われるとは限らない」というのが常識となっていますが、筋肉については、努力した通りに付いてきます。
筋トレマニアな方々は、たぶん筋肉のそういうところも好きなのだろうと思います。
私の筋肉も素直に付いてきていますが、私は元が痩せているので、見た目は「これは肉なのか骨なのか」がわからない状態です。
水泳をするので、背中の筋肉が一番付いたように思います。
また、肌がきれいになってきているのも大きな変化です。
私はもともと肌が弱く、胸元や背中にしょっちゅう吹き出物が出る体質ですが、筋トレをすると、その翌日から翌々日には赤みが引いていることに気がつきました。サボるとまた出てきますので、筋トレとの関連性があるのだと思います。
吹き出物の原因は人それぞれだと思いますが、解決策の1つとして「筋トレ」はオススメしたいです。
筋トレの話を一通りしましたので、七夕の話です。
7/7に浜離宮朝日ホールで行われた七夕コンサートに行ってきました。
いつも1人でいることが好きな私ですが、この日は人と一緒でした。
誰と行ったのか。
それは、両親です。
残念!!(?)
築地で待ち合わせをして、寿司を食ってコンサートホールに向かいました。
途中、築地市場を通りましたよ。
築地には「場外」と「場内」があって、写真の「場内」は関係者しか入ることができない、という話を父親がしてくれました。
つまり、選ばれしものしか入ることができない、特権階級のみが許諾されているエリアだということです。
みなさん、真面目に働いていました。
そんな姿を、私は「あ、これ移転とかでニュースになってるとこじゃん。」という軽々しい気持ちで撮影したものが上の写真です。
豊洲移転について、専門家や築地の代表の方が意見を交わしていますが、現場で働いている人はどう思われているんだろう。
そんなことを思いながら、浜離宮朝日ホールに着きました。
↑朝日新聞社。
知らない人は知らないであろう、クラシックやオペラの世界。
入り口では、「いつものように」大量のチラシをもらいます。それだけこの世界にはプレーヤーも多いということです。
広告の仕方がチラシや口コミに頼っているためか、あまり目立たない世界ですが、熱狂的なファンが多いということを、現場に行ってみると感じることができます。
そして、とてもクリーンな世界です。ダフ屋もいないしチケット転売してるような人もいない。入り口で刃物持ってないか持ち物検査されることもないし、後日ツイッターでクソリプが飛んでくることもない。
いや、もしかしたら少しはあるのかもしれないし内輪では大変な事情を抱えている可能性もなくはないけど、よくニュースで騒がれているような「コンサート」とはほぼ無縁だということが、行ってみると感じます。
ニュースは現実のほんの一部、しかも非常に稀な事例しか報道してないよ。だからこそみんなが注目するわけですが。
演目のメインは、「浅草オペラ」でした。今年で誕生してから100周年になるそうです。
私は今まで「浅草サンバカーニバル」しか知らなかったので、オペラも輸入していたことが驚きでした。しかも「オペラ」という名前を冠していながら、ジャスや歌謡曲もやってたそうです。浅草はなんでもありだな。
浅草オペラはご存じない方が多いと思いますが、それもそのはず、大正時代に爆発的な人気を博したにもかかわらず、関東大震災でメイン会場が無くなってしまってから、衰退してしまったそうです。
立て直そうと頑張ったらしいのですが、会場がないことが致命的だったそうで、ついに無くなってしまいました。
それがなぜ100年たった今でも語り継がれているのかというと、この浅草オペラがきっかけとなって、洋楽が日本に浸透してきたと言われているからです。
つまり、過去にビートルズが日本で大流行したことや、今の私たちがジャスティン・ビーバーやアリアナ・グランデといった洋楽を普通に聞いていること、またカフェで洋楽が流れているのは、元をたどると大正時代に浅草オペラを盛り上げた人たちの功績あってのことだ、ということです。
こういう「こうだったからこうなっている」という因果的なもの、面白いですね。
この「浅草オペラが洋楽を浸透させた」という流れを聞いて、私は坂本龍馬を思い出しました。
坂本龍馬は海援隊という組織を立ち上げて、当時しょぼかった日本の経済を「国際的に渡り合えるくらい大きくする」という夢を掲げるのですが、志半ばで暗殺されてしまいます。
そのあと、岩崎弥太郎という人が海援隊を発展させます。
それが、今の三菱グループになっています。
私たちがいつも何気なく使っている銀行だとか家電だとか霧ヶ峰だとかですが、その経緯を知ると、少し違って見えないでしょうか。
コンサートの話から歴史の話になってしまいましたが、話を戻すことができないし、寝る支度をしたいので、今日はおしまい。