僕は今まで、「声が聞き取りづらい」と何回言われたかわからない。
一番思い出深いのは、昔、数人が集まって旅行の計画を立てていたときのことだ。僕がある提案をしたんだけど、却下された。しばらくして、友人が同じ提案をした。採用された。
びっくりして、「え、さっきそれ俺が言うたやん」て憤然と抗議したけれど、後で冷静に考えてみたら、僕は伝え方がまずかった。そして友人は伝え方がうまかったのだ。せっかくのいい提案も、伝え方のせいで面白くもなり、つまらなくもなる。
英国王室のプレゼンテーション・コーチも務めたマーティン・ニューマンは、東洋経済オンラインのインタビューでこう答えた。
完璧なスピーチを書いても、デリバリー(伝え方)がまずければ、結果は散々。内容がひどいスピーチでもデリバリーで賞賛されたりする。デリバリーが人に与えるインパクト(パーソナルインパクト)は、それ以外のインパクトよりよっぽど大きいと気付かされた。
伝える内容より、伝え方が大事だ。
「声」の出し方について
伝える方法を変えるためにはまず、声の出し方を変える必要がある。人間は声帯を震わせて声をだしているが、これは、仕組みとしてはバイオリンやチェロといった弦楽器と同じだ。空気を使うのだから管楽器のように思うかもしれないが、そうではない。空気という弓で、声帯という弦をこすることで音が出ている。
つまり人は誰でも、体の中に弦楽器を備えているようなものだ。バイオリンが弾き方で聞き心地が変わるように、声も出し方で相手に与える印象が変わる。誰でも美しいバイオリンの音色には耳を傾けるが、しずかちゃんが弾くバイオリンのようなガリガリいう音はあまり聞きたくない。バイオリンをうまく弾くためには練習が必要なように、いい声を出すためにも練習が必要だ。
いい声を出すために
1.腹式呼吸
まずはたっぷり空気を使って話すために、腹式呼吸が必要だ。腹式呼吸の方法については本書に図入りで紹介されているし、他のサイトでも詳しく書かれているから、ここでは書かない。
2.共鳴させる
鼻の頭に指を置いて声を出してみると、指に小さな振動が伝わってくる。これは声帯で作られた音が、口腔や鼻腔で共鳴しているからだ。指を置いたまま、低い声から高い声まで出していくと、指に伝わる振動の大きさが変わる。振動の一番大きい音程が一番共鳴している音で、相手の聞き取りやすい音だ。
実際やってみると、けっこう高めの音で振動が大きくなることがわかる。ということは、意識して高めの声を出すのが良いということだ。
3.滑舌
声帯で生まれ、口腔で増幅された音は、口先で言葉に変わる。私たちがバイオリンの超絶技巧に驚かされるように、滑舌の良い人の話は聞いている人の気持ちに響く。
滑舌の鍛え方も、詳しくは本書や様々なサイトで取り上げているから書かない。ポイントの一つは口を大きく開けることだ。口を開けないと、文字通り「ボソボソ」という声しか出ない。僕も口を開けないことが癖になってしまっているけど、僕の友だちはさらに強力で、「口を開くのがめんどくさい」と言ってはばからない。彼の話は聞き取りづらいことが周囲では有名で、ときどき通訳が入って笑いが取れるほどだ。笑われないためにも、滑舌は良くしたい。
1日5分の朗読で話し方は劇的に変わる
この章が、この本の核だ。魚住アナウンサーは、25年間のアナウンサー生活で、朗読の絶大な効果を実感しているという。
「朗読」の仕事があった翌日は、会話が上達し、トーク番組でも言葉がスラスラ出てくるのだそうだ。言葉の反射神経が磨かれ、ボキャブラリーも増えるからだろう、と魚住さんは分析している。
ただ読む「音読」ではなく、伝えて感動させるために様々な色、音をつけていくのが朗読だ。
朗読のプランを立てよう
先ほど声は楽器だと言ったが、朗読の原稿はその楽譜となる。楽譜をどう演奏するか編曲を施して、歌うように読むのがコツだ。原稿は自由に決めて良いが、500字前後が妥当だ。
1.黙読して内容を理解する
この文章は何が言いたいのかを把握することだ。
2.音読でどう読むかのプランを練る
重要な箇所、強調したいところをマークする。強調したい部分と聞き流しても良い部分を分ける。音楽でいう、サビとメロディを分ける作業だ。強調の仕方には、いくつか方法がある。
- 前後より高めの声を出す
- ゆっくりと話す
- 前後に沈黙を入れる
- 強く発音する
- 声色をつける
3.朗読で実行
必ず録音するようにしよう。録音無くして上達なし。この訓練をすると、実際のスピーチで人間味の溢れる話し方ができる。本書ではお手本として小泉進次郎さんをあげていた。動画を貼っておこうと思う。
強弱、思い切った長い沈黙、ジェスチャーなど、研究し尽くされている話し方らしい。確かにすごく聞き取りやすく、耳を傾けてしまう話し方だ。
おわりに
話し方のプロといえば、噺家もそうだ。子どもからご老人まで、最前列から2階席まで聞き取りやすい声を出さなければならない。声とジェスチャー、いくつかの道具だけですべての状況、登場人物を表現する技術は並大抵ではない。こちらはヘラヘラ笑ったり弁当食ったり、時には寝ているだけだけども。そんなことを、先日、新宿末廣亭で感じた。
僕も声を良くしようと思い、本を読んでから朗読に挑戦してみようと思ったが、周囲が気になってなかなか実践できなかった。そこで、代わりに一人カラオケに行った。これは、結果的に吉と出た。
朗読の基本は自分の声を録音することだ。だから僕はポケットからスマホを取り出して、ボイスメモのアプリで自分の声をとってみた。聞くのが怖かったけど、えいや!…思ったより、ひどい声だった。
でもそれが、周りの人が聞いている「自分の声」なのだ。音というのは空気を通ることで劣化するため、自分が聞いている自分の声は、相手の耳に届くころにはボロボロになっている。
声が聞き取りにくい人はこのことを気がついていないから(僕がまさしくそうだけど)、周りの人のストレスになっているなんて露知らず、自分では美声を発している気になっている。だってそう聞こえるのだから。
自分の声を客観的に聞いた僕は、なんか汚いものを見たような気持ちになって、直さなくては済まなくなってきた。録音を聞くたびに「なんでここでしゃくれるんだ!?」「え!?今なんて言ったの?」と、普段他人の声に対して思っている言葉を、そのまま自分に向けて思うハメになった。
まるで排水溝に長いこと放置したゴミの塊を見つけたように、それに触れるたびにげんなりしながら、何回も録音していった。カラオケに入って1.5時間くらいたったころ、ようやく「このくらいなら、まあ、アリかな」と思える声になっていた。聞き苦しくない。
そして、その効果は翌日も続いた。電話応対での相手の反応が良かったし、心なしか周りからの注目も浴びているように思えた。相手の印象に関わるという意味では、声もファッションの一部なのかもしれないと思った。