仲見世と他の門前町の集客力の違いは何か。経営者っぽく考えた。

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先日、兄妹で浅草観光に行ってきました。たったの半日でしたが中身の濃い時間を過ごすことができたので帰ってきてからブログを書き始めたのですが、気づいたら4000字を超えており、しかも内容が多岐にわたってしまいました。

文章には「ワンメッセージの法則」というものがあります。一つの記事に一つの話。

二つも三つも話がある場合は章を分けるか記事を分けるのがコツです。

そこで、この浅草観光についても小分けにして投稿することにしました。

仲見世の賑わいとうちの近所のお寺の寂れ具合の差は何かを考えた

雷門で待ち合わせて仲見世をぶらぶらと歩きました。

とても賑わっていました。調べたところ年間3000万人もの人が訪れるそうです。思わず私が住んでいるアパートの近所にあるお寺と比べてしまいましたが、調べてもデータはでてきませんでした。計測不能なほど人が来ていないようです。確かにいつもガランとしてるお寺です。

なんなんでしょうね、この集客力の違いは。私は両者の間に格差を感じずにはいられませんでした。

浅草寺は1400年前に建てられた都内最古のお寺で、江戸幕府が開かれてから参拝客が増え、幕府が寺周辺にお店を作る許可を出してからどんどん賑わうようになったそうです。

これはたとえるならディズニーリゾートができてそこに集まる人が増えたからイクスピアリの建設計画ができてどんどんにぎわうようになった、そんなイメージです。

しかし、いくら幕府の後ろ盾があったのだとしても都内には浅草以外にたくさんのお寺があるはずなのに、仲見世は飛び抜けて人気があります。なぜなのか。

「観音様は他のお寺にもいるはずなのに浅草だけこんなに派手にしてくれちゃって、観音様不公平じゃない?」と考えもしました。

浅草寺ができたきっかけは漁師さんが網を打っているときに引っかかった観音像を祀ったのが最初だそうで、はじめから特別なお寺だったというわけでもなさそうです。

もう一歩踏み込んで調べると、平安時代末期の源平合戦のとき、源頼朝が浅草寺で戦勝祈願をしており、さらにその400年後に徳川家康も源氏が勝った験を担いで祈願をしています。でもなんで源頼朝は浅草寺を選んだんだろ。

そんな浅草寺が繁栄するまでにはいろんな経緯があったと思いますが、やっぱり行動力かな。どんな環境にあろうがどんな時代に生きようが、各自がどれだけ行動するかで将来は変わるんだな、という結論に至りました。

浅草はとにかく人が動いています。私たちが行った日も浅草寺の中では何かの講習(?)らしいものがやっていて、多くの人が熱心に耳を傾けていました。

かたやうちの近所のお寺はいつも静かで熱心に喋っているのは小鳥くらい。人が活発に動いている様子なんて見たことありません。そもそも門前町すらありません。私はそういう静けさも好きですけどね。

この体質の違いが観光客の数に影響しているのは明らかです。浅草寺は昔から参拝者を増やす工夫とかイベントの誘致活動を熱心にしていたのではないでしょうか。浅草寺はもともと天台宗だったのが独立していますが、そんなことベンチャー体質がなければ普通できません。

昔は宗教と政治がそれほど分かれていなかったので宗教を政治の一つだったと考えると、同じ政治体制の下にあってもそれぞれの人がどう頑張るかで成功するかどうかは大きく変わるのでしょうね。

当時を生きた人の中にはきっと「観音様にお参りしていれば全てうまくいく。」と考えていた人も多かったと思いますが、それは現代でいえば「政治家が何とかしてくれる。」というようなものでアテにしすぎてうまくいくものでもありません。

浅草寺を取り仕切っている人の中に、きっと敏腕経営者がいるのだろうと思います。

おわりに

お昼にもんじゃを食べましたが、そこで妹は「あたしはバカだったからあんな高校に行った」とぼやいていました。聞くと全然勉強してなかったらしく、「いやそれバカだったからじゃなくて自分がやってないからじゃん」と言いました。

今も昔も、資本主義だろうが封建主義だろうが、また未来に資本主義が崩れて他のもっと良い世界に変わるのだとしても、自分次第という原理は変わらないものなんでしょうね。

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