「存在するけど存在しない」ことがありえることをNTTが実験で明らかにしたと発表しました。
「存在するが存在しない」なんてセリフはゲームかファンタジー系のアニメで時空のハザマとかにいる賢者キャラがつぶやくものだとばかり思っていましたが、現実にそれが起こり得るのだということを、リアルな企業のしかもどっちかっていうと堅実な経営をしている気がするNTTが自身のホームページで発表しました。
超伝導磁束量子ビットを用いた巨視的実在性問題の実験的検証に成功 / NTT
ことのあらましの説明をしたいのですが、私はばりばりの文系です。この話は詳しくご存じの方にとっては至らない点が多々あるかと思いますが、私の無知とわかりやすく伝えようとしている思いをくみ取って下さり生暖かい目で読んでいただけたら幸いです。
昔々、20世紀初頭のオーストリアにシュレーディンガーというおっさんがいました。
おっさんはこう言いました。
「もしさ、外から中が見れない箱に猫を入れて50%の確率で死ぬようにしたら、観察するまでは死んだか死んでないかわからないじゃん。つまり箱の中の猫は生きているともいえるし死んでいるともいえるんだよ。だから、猫は箱の中では生きていてかつ死んでいる二重の状態であり、私たちが観察した時に生きているか死んでいるかのどっちかに決まるのさ。」
ば、ばかな!
これは常識的な判断をするなら屁理屈のように聞こえますね。
普通に考えたら猫は生きているか死んでいるか箱の中ですでに決まってるはずであり、観察するまで生きているか死んでいるかが決まらないなんて判断はあまりにもジコチューすぎます。そんな勝手な奴はシカトして他の人とつるんだほうがいいよと思いきや、量子力学ではごくごく小さな世界、たとえば電子の世界では観察するかしないかで実験結果が変わることが明らかになっています。
観察するという行為自体が実験対象の振る舞いに影響を与えているということですが、ミクロの世界ではそうなんだとしても、もっと大きな世界でその法則があてはまるのでしょうか。
さすがに猫が見ている時とみていない時で存在するかしないかが左右されることはありえないように思えます。
あの気まぐれな猫様が観察するかしないかで生き死にが変わるなんてことは到底考えられないっしょ。ということで(なわけありませんが)今回の実験がなされました。
実験の目的はミクロの世界で起こる二重の現象が巨視的な世界でも適応されるのかどうかということなので、(さすがに猫を実験対象にするにはいろんな問題があるし技術的にも未熟なので)電子より大きい電流を使って行われました。
そして実験の結果、やっぱり観察した時としなかった時では状態が異なったということです。NTTは、今後はもっと大きなスケールでの実験でもこの結果が証明されるよう研究を続けるとしています。
猫が存在するかしないかを検証するにはまだまだ時間がかかりそうですが、いずれ「存在とは」という根本的な命題にも入り込んでくると思われます。
私たちが生きている間に大きな変化はあるでしょうか。