精神論とは根性論ではなくて心の豊かさについて論じるもの

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精神論というとネガティブなイメージがありますが、ブログなんかやってると精神力が大事だということを強く感じます。

ブログを書くために必要なのは体力よりも頭です。自分の頭の中にない事は書けないから、自分の頭や心について考えざるを得ません。

だけど一般的に「精神」というとすごくシンプル図が頭に浮かびがちで、それは“強い”か“弱い”かといったデジタルな指標です。

これは物質の世界では当てはまりますが、精神の世界では若干法則が異なります。

物質の世界では強い力をかければ対象は破壊されますが、心の世界はそれほど単純ではありません。

少年漫画では気合を入れれば戦闘力が上がったし気持ち次第でギアが上がって今まで勝てなかった強い相手に勝てるようになりますが、それは現実には火事場の馬鹿力としては存在するものの出そうと思って出せるものではありません。

肉体の限界が起きた時に精神を奮い立たせてそれを超えるといいますが、実際肉体の限界がおとずれると精神を殺して体を動かすということもあります。私も感情を捨てて淡々と体だけ動かしていました時期が過去にありました。

だから精神力というのは力学的な強さだけではありません。

確かに気合を入れれば体はより動きますが、それは精神のほんの一部です。今はそういった意味での精神力は、しだいに必要性すらなくなってきています。

なぜなら先進国では戦争をすることがなくなったし、機械が人間に運べないような重いものを運ぶ仕事を代わって行うようになってきました。これからAIが生活の中に広がるようになれば、ますます気合と根性で体を動かす機会は減りそうです。

そうした社会では、精神は「肉体に従属するエネルギー装置」としての役割は期待されなくなり、より「豊かさ」といったものが必要になってきます。それが精神の本来的な使い方だと思います。

だから精神力とは何かというと「豊かさ」。言葉の意味としては「経済力」に近いものがあります。

精神の状態によって行動の内容やその活動量が変わることを近年ではよく言われます。

鬱なるとなにもできなくなります。心が非常に貧しい、あるいは紛争状態の国のように統一性が取れません。

逆に調子のよいときは活発に動けるし行動に秩序があって名案が閃きます。たくさん活動できればそれによって得るものが多くなります。今は知的財産の時代ですし、心の豊かさが物質的な豊かさにダイレクトに繋がっています。

そうなると心の状態を考えることがますます重要になってきます。

特に日本は昔からコンテンツ制作の分野に強みを持っている民族ですから、ますます心の状態については気を使わなければならないと思います。

1996年にビル・ゲイツがコンテンツにどれだけ価値があるかを端的に表した「コンテンツイズキング」という言葉を残しましたが、そのずっと以前から、日本は漫画だのアニメだのを通して老若男女問わずコンテンツに触れてきました。アメリカなんかとは年季が違います。

今でも年収100万円しかもらってない人がそれでもイラストレーターとして働いているといいますが、それはコンテンツ制作に命を懸けているこの民族性を象徴しているようにも思えます。

心の豊かさ、ほんと大事。

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