うまい文章とはわかりやすい文章ということ。わかりやすいとはイメージしやすいということ。

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文章を書く目的は“記録”と“伝達”です。記録は後々誰かが読むために行うものなので、広義には伝達に含まれます。つまり、文章を書くのは「伝えるため」であるといえます。

ですから、文章を書く上で一番大切なことは「伝わっているか」ということで、うまい文章とは伝わる文章のことをいいます。

よく伝わる文章ということは、相手にわかりやすい文章ということです。

さらにいうなら、わかりやすいということは具体的なイメージが相手の頭の中に作られる文章だということができます。

イメージを沸かせるには表現に矛盾があってはいけません。それにプラスして、表現が豊かである必要があります。様々な表現を使って、あの人にもこの人にもわかるように、そして飽きないように言葉を選ぶ必要があります。

だからどう表現するかが大事です。人間は論理的な理解に加えて抽象的な理解もするので、矛盾のない表現に加えて表現力といったものが必要になってきます。

わかりやすさを演出する「比喩」

表現にはいろいろな方法がありますが、一番使い勝手の良いものが「比喩」です。

「○○は■■のようだ」
「■■は▲▲だが、これと同じように○○は◎◎だ」

○○のことを知らない人がイメージできるように別のもので例えることが比喩です。

○○は■■のようなもの、と表現することで○○のことをイメージしやすくなります。

また、普段何気なく接しているモノや出来事をドラマチックに見せる効果もあります。

これがうまいのが小説家の村上春樹さんです。

ほんの小さな出来事や心の動きさえも過剰ともいえる豊かな比喩で装飾してしまい、私たちが認識していたそれとはまったく別の解釈の世界を見せてくれます。

彼女はカウンターに頬杖をつき、ピアノ・トリオの演奏に耳を澄ませ、まるで美しい文章を吟味するみたいにカクテルを少しずつ飲んでいた

引用:国境の南、太陽の西

「彼女はカウンターでカクテルを飲んでいた」で用件は済むわけですが、そこに比喩が入ると、読者の頭の中で作られるイメージが変わってきます。

ですから、文章を書く時はいかにイメージしてもらえるかをいつも考えておく必要があります。

表現に制限はありません。「彼女はカウンターでカクテルを飲んでいた。」ことは変えようがありませんがその表現は自由です。ためしに私が作ってみましょう。

彼女はカウンターに頬杖をつき、今日職場であったことを腹の底におさめようとするかのように、カクテルを少しずつ飲んでいた。

一気に興が冷める表現となりました。被写体は村上春樹と同じく「カクテルをゆっくり飲む女性」なのですが、表現を変えただけで全てが変わってしまいました。まるでOLがコリドー通り外れのバーで上司の愚痴をつぶやきながら一杯やっているかような絵面になりましたね。

ですから、どう表現するかがとても大事になります。それによって相手に伝わるものが異なってきます。

慣用句のワナ

簡単に表現豊かにする方法として「慣用句を使う」方法がありますがあまり使いすぎないほうが良いと思っています。

たとえば「うまくいかなくなる」ことを「暗礁に乗り上げる」と表現します。

もともとは「船が座礁して行くことも戻ることもできなくなる様」を比喩に使ったものですが、たくさん使われているうちに慣用句になりました。

慣用句は誰でも手軽に使えて楽だしカッコいいですが、読者の頭の中にイメージを想起させるかというと効果的ではありません。なぜなら最近はあまり船に乗らないからです。

「暗礁に乗り上げる」という言葉が初めに使われたのはおそらく船が交通手段のメインだった時代でしょう。その当時、暗礁を比喩に使うことは聞いた人の頭の中にリアルなイメージを湧かせたのだと思いますが、今はそうではありません。レーダー網が発達して船が座礁しづらくなったからです。暗礁と聞いて浮かんでくるのはせいぜい映画『タイタニック』くらいで想像力をかきたてません。

慣用句は比喩としてはカッコいいですが、見方を変えると古い表現だということができます。

ありきたりな表現に頼らずに豊かな表現を使うには、頭を使ってどう表現したら良いかをいつも考えている必要があります。村上春樹さんの作品が世界中で愛されているのは、出来合いの表現に頼らずいろんな物事を適切に表現しているからだろうと思います。

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