副業が容認されることで生まれる自由と責任について。為末大さんの話がとてもわかりやすかった

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政府が会社の「モデル就業規則」というものを発表しています。そこでは今まで副業を「原則禁止」としていましたが、最近「容認」に変わりました。

会社に依らずにお金を稼ぐという流れがこれからも大きくなると思います。

このことのメリットとしては「自分がやった分だけ対価を得ることができる」という点です。今まで多くの会社で成果主義が取り入れられようとしてそれがうまくいかず、頑張ろうが頑張るまいがそれがダイレクトに給与に反映されるわけではないことが従業員のモチベーションに関わっていた面がありましたが、それが一気に解決されることになります。やったらやった分だけ自分がもらえるということです。どこまでもらえるかは自分がどこまでやるか次第なので、上限はありません。

これは同時にデメリットにもなります。

自分がやらなければ何も得るものがないということです。就業時間さえ守っていれば毎月一定の給与が支払われる安心感はなくなります。すべての結果を自分で背負わなければなりません。会社に所属していればトラブルが起こった時に上長に相談できたし最悪代わりに謝罪してもらうことで責任を免れることができましたが、フリーランスとしてやるとなると相談できる人はいないし、責任も転嫁する先もありません。仕事をする環境に人がいないことも多いですから孤独に作業する時間も多くなるはずです。自分で自分を律する力がないとプレッシャー負けしてしまうかもしれません。

このことを元陸上選手の為末大選手が「プロとアマチュア」という視点でわかりやすく説明されていたので引用させていただきたいと思います。

プロとアマチュア | 為末大 侍オフィシャルサイト

アマチュアのチーム(高校のチームなど)はチーム一丸となって練習をして、ある程度練習の内容が決まっているので皆それなりに成長する仕組みがある。(中略)勝つ負けるの責任を選手たちは多少は負うけれども、言われた通りやっていたという点で、全部の責任を感じなくてもいい。
(中略)
一方で、プロの世界では、結果責任を個人がとる。誰かが無理やり練習をさせるわけでも、メニューが決まっているわけでもない。トレーニングをやらなくて問題ないが、それで負けるのは本人で、損をするのも本人でしかない。
(中略)
アマチュアの世界は成長することや勝利の責任をチーム(指導者)に預ける代わりに、自由を一定量手放す。

プロのチームは、自己の成長や勝利の責任を負う代わりに、自由を手に入れる。

今、働き方について様々な議論がなされているが、結局のところ日本がプロ化しようとしていると私には聞こえる。もう自由を組織に捧げなくてもいい代わりに、誰もあなたの成長の責任をとってはくれない。働く時間も自由になるが、代わりに何かを生み出せない人はいくら時間を費やしても評価してもらえない。

自由は素晴らしいが、恐ろしいものでもある。どうもこの流れは止まらなさそうだから、適応した方がよさそうだと個人的には思っている。

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