先日、友だちどうしのLINEグループに以下の引用が投稿されてきました。
グループに入っていない別の知人も、タイムラインで流してました。
私の友人はとても真面目な人が多いです。そしてアホです。ちなみに私は全く知りませんでした。
私も30代なので「最多の死因は自殺」の世代です。
なので、このことについてブログ記事にしようと思ったのですが、テーマが重い笑
書いてるうちにどんどん暗くなっていく、どんなに書き直しても終わらない。こんな記事書かないで、サイゼリヤの話にしとけばよかった。
そう思ったので、深刻になる手前で無理やり終わります。
自殺が多い世代の1人として、やっぱり生きづらさは感じています。
なんで生きづらいかというと、2つ思いつきます。
まずは、それぞれの個性への理解があまり得られないことです。
ダイバーシティ(多様性)がしきりに叫ばれていますが、まだまだ発展途上で、日本はやっぱり新しいものとか、異質なものに対する抵抗は強いです。
あとなんか「多様性とカオス」の線引きがすごく曖昧な気がする。
私は1981年生まれなんですが、この世代の特徴は上の世代とも話ができる、しかも下の世代の文化にもあまり抵抗がないということです。
昭和と平成を生きてきて思うのは、変化が多いわりについていけている人は少ないということです。
私が社会人になりたてのころはまだ昭和の価値観が根強くありました。上司は高度経済成長を支えた元銀行マンで、1日8時間一緒に仕事をしていたので、高度成長期の価値観はなんとなくわかります。
体育会系のやり方でバシバシ叩いて伸ばすのは良いこと。
飲み会は上司と部下が親睦を深める大事な時間。
メディアは新聞とテレビだけあれば良い。
子育ては母親に任せるべき。などなど。
こうした文化の中にいて、私もその当時の面白さも少しわかってきて、落語や古い映画を見ても面白いと感じます。
今はすっかり変わりました。
叱ったらパワハラ。
飲み会は時間と金の無駄。
メディアはテレビに雑誌、電子書籍にユーチューブにフェイスブック、インスタ、ツイッター、スノースマニュスナチャミクチャ…
子育ては夫も参加。
私もたまにユーチューバーの動画を見ます。知る人ぞ知る「ヒカルの祭り動画」も見ました。
こんな私の世代から見えるのは、お互い理解ができていないということです。
情報量が完全に個人のキャパを超えていて、無関心という形で拒絶反応を示しています。
これを乗り越えるには、情報1つ1つを自分が好きかどうかで判断するのではなく、人を理解するためのツールとして扱う、認識観の転換が必要であるように思います。
これ以上書くと重くなるので次っ。
生きづらさのもう1つの原因は、代価のない労働が多いことでしょうか。
よくいえば「おもてなし」という日本の美意識なのですが、この悪い面は「気を使ってるのにそれに対する直接的な見返りがない」ことです。
自殺する人はみんな周りに気を使える人ばかりではないですか。だからどんどん疲弊してしまうんですよね。
しかも価値観が人によってバラバラだから、AさんとBさんで接し方を変えたりして、ほんと頑張ってるんですけど報われない、気づかれない。最悪です。
もう少し対価を得られる仕組みができると良いと思います。
しかし、現状だとそれが実現するのは2030年以降、AIが単純な仕事を担うのが当たり前な社会になり、高付加価値なサービスに人々が注目できる余裕ができてからかなあという気がします。
それまで待ってもいられないですから、今は自分から声をあげるしかない気がします。「自分のやってることは価値あることなんだ」と。大変だけど。
価値があるかどうかは自分が決める部分も多くて、たとえばジャパネットたかたは値段を言い切りますよね。
同じものがネットショップでもっと安く売ってるのに、「こんなに良いものが、なんとこのお値段!」と言い切っちゃいます。
それで売れてます。言ったもんがちなところがあるからです。
自分を安く買い叩かれるほどみじめなものはないので、誰がなんと言おうと自分の価値をはっきり信じないといけないんですよね。
でも自殺を考える人がそんな余裕があるかというと…
と考えていくとどんどん暗くなるので、今日はおしまいっ。