歴史は繰り返してることをわかって行動計画練った方が良いと思う。

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おとなしく美しい記事を書こうと思ったけど、できませんでした。

実名でドメイン取ってブログやり始めたけど、なんか緊張してなかなか更新できないでいます。

「も、もっと丁寧に書かなきゃ。」なんてことをいつも考えてしまう。今までもプロフィールに実名載せてたけど、なんか違うんだよね。

ガッチガチでブログ更新しています。ブログってそういうものだっけ笑

Twitterも、試しに実名で登録してみたらできちゃってすごく緊張します。緊張しながらツイートするとか何やってんだかよくわからん笑

実名にしたのは、なんか「尾張」のブランディングをしたいと思ったからです。

けっこう、毀損が激しいので。昔と今が、だいぶ違う。

昔はもっと高貴な感じも漂わせていましたが、ちょっと変わってきてしまいました。

このままだと雑多なものに埋もれてしまいそうなので、それに抗うつもりでの実名です。

大企業だったらテレビCMを打ってブランドの価値を上げますが、個人だからネットでやります。

ちょうど今「ソーシャル与信」という言葉が流行り出していて、実名は追い風だと感じます。

「与信」というのは「この人はどのくらい信頼できる人なの?」を測る言葉で、主にお金の貸し借りをするときに使われています。

たとえば、家のローンを組むとき、与信が大きい人はたくさんお金を借りることができます。大きな家を買えます。

今まで、与信は返済能力の有無で測られていました。その「どれだけ信頼できる人なのか?」をソーシャルの登録内容や投稿をを見て判断しよう、という動きが始まっています。

だから「ソーシャル与信」。

与信だけでなく、今はネットに発信された情報があらゆる場所でその人を測る指標として使われる動きが広がっています。

たとえば、買い物をするとき。

アマゾンで買い物をすると、それからしばらく、めっちゃ追ってくるのを感じている人は多いと思います。

「この商品を買った人はこの商品も買っています。」「あなたにお勧めの商品」「あなたが過去に買った商品。そろそろ在庫きれたっしょ?もっかい買ってみない?」

こうなるのは、今までの買い物の履歴がすべて保存されていて、どういう買い物をする人なのかが分析されているからです。

また、ソーシャルに登録した個人情報や発言は広告に利用されています。

投稿内容や登録情報を分析して、どういう広告を見せるかが決められています。だから、ソーシャル広告を見て「なにこれ、まじうぜー」と思うかもしれませんが、それはあなたがその広告に興味があると思われる行動をしているからその広告が表示されている、という認識を持ったほうがいいかもしれません。

ソーシャルは広告で運営されているから、この流れを止めることはできません。

また、ネットで検索した結果、見たページも全部履歴に残っています。プライバシーモードで検索した場合はその限りではありませんが。

ヤフーやグーグルで検索した結果によって、「どんなことに興味がある人なのか」が分析されて広告が表示されています。

僕は以前、いろんなことを調べていたときに「プラセンタってなんのこと?」って思って調べたら、その日以降、胸の大きなおねえさんのバナーがスマホに表示しまくるようになってしまいました。

広告「あなた、以前プラセンタのこと調べましたよね。」

僕「いや、そうだけど違うんだ。」

翌日の広告「悩みがあるのね・・・。コチラの商品はどうでしょうか。」

僕「ちがっ!そうじゃないんだ!」

翌々日の広告「今日も来ました。いつ買ってくれるの?」

僕「やめろ!電車内でスマホ開けないだろうが!」

大変困りました。

これを防ぐには別の広告を踏めば良いです。今、僕のスマホにはライザップの広告がひっきりなしに流れてきています。

どのページを開いてもライザップ。

こうしたネット広告、今はまだ僕にプラセンタの広告を表示するくらい精度がよくないですが、日に日に改善されています。

ちなみに、このブログは「銭湯についてたくさん書いてあるブログ」という認識があるようです。うーん、当たらずとも遠からず。

だから、このブログを読んだ方は、今日以降「銭湯の広告」が流れるかもしれません。銭湯がウェブ広告を出していればですが。

こういう話を聞いて、「なにそれ怖い」と思う人もいれば「なるほどね。」と頭を働かせる人もいると思います。

怖いと思う人は、時代の流れを把握しておかないとだんだん生きるのが窮屈になるかもしれません。

なぜなら、この流れが将来的にはもっとエスカレートすると思われるからです。

SF映画に出てくるような「すべてを機械が治めるディストピア」にはならないと思いますが、別の形で、「あらゆる面で管理が行き届いた社会」になる可能性は十分にあると思っています。

昔は社会が人の面倒を見ていたのが、これからはそういった組織が面倒を見る社会になるって、『サピエンス全史』にも書いてありました。

むしろ今までが自由奔放すぎたのかもしれませんね。

だんだん、よく言えば「秩序だった」、悪く言えば「窮屈な」社会になるかもしれません。

でも、それは今に始まったことではありません。

第二次世界大戦が終わってから、時代の変化があって、新しい会社がたくさんできました。今ではだれもが知っている大企業たちです。

当時の政府も「戦争で何もなくなっちゃったんだから、自由にやろうぜ!」といっていて、日本全体が勢い良く成長していきました。

それから政府や企業は切磋琢磨してどんどん大きくなっていきました。そしてルールをどんどん増やしていって、だんだん窮屈になってきました。

そうした閉塞感を打開しようと、学生運動が起こったり、そこから抜け出して自由になろうと奇抜な格好をして原宿でダンスを踊ったりする人が現れました。

今も、形は違うけど同じ流れに見えて仕方ありません。

戦争が終わってから今を代表する会社がどんどん成長していったように、今はネットに現れた会社がどんどん大きくなっています。

これから、ルールがどんどん追加されていくようになると思います。というか、生き方を矯正(誘導)されていくようになる感じかも。

それを嫌がる人たちが、また革命を起こそうとしたり、将来のヒッピーや竹の子族をやるようになったり、「毎日毎日僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ」という泳げたいやき君みたいな歌が社会現象になると思います。

でもそうなることは、今までの歴史を知っている頭の良い人たちが知らないはずはないので、今までに蓄えた知識と財力を使ってうまーく立ち回ると思います。

そうしてみんな懐柔されて、またもとの社会に戻って、でもなんかすっきりしない毎日が続いて、「愛を取り戻せ!」という世紀末な北斗の拳みたいな漫画がはやるようになると思います。

それで一周まわってまた今のような世の中になります。

繰り返しです。季節が秋から冬になるように。時代は回るということです。

だから、自分が「こういう生き方をしたい」ということも大事なんだけれども、「これから世の中がどうなっていくかを知って、自分はそのどの位置を占めるか」を考えることがとても大切です。スポーツで言う「ポジショニング」です。碁みたいなもんです。好き勝手にできるわけではありません。

思い出せないんですが、以前観た映画がとても印象深かったんです。

戦後に作られた映画。3部作で、戦争映画。めっちゃ長いやつ。ぴんと来た方がいたら教えてください。その映画の第1部で、めっちゃ切れ者の財閥のお父さんが、世の渡り方を息子に諭すシーンでちょうど今まで書いたようなことを言っていて目からうろこでした。やばい頭のいい人ってそう考えて生きているんだって思いました。

そういう作品が世に出ているにて誰でも見られるようになっているにもかかわらず、多くの人は関心がなく自分の楽しみばかり追い求めるので、けっきょく最後は「長いものに巻かれる」ようなちょっと残念な形になってしまいます。

私の父方の祖父もかなり頭が切れる人で、100歳近くで亡くなるまでまったくぼけることがありませんでしたが、その祖父も言っていました。「今は、昔ととてもよく似ている。」やっぱり時代は繰り返しているんだ、祖父が生き証人だと思いました。

ほんとうは、こういうことをたくさん書いていきたいんです。このブログで。もうちょっとよく考えて判断しようというメッセージを伝えたい。需要はないけど。

でも、実名にしたらなんか難しくなっちゃったんすよね。

これで尾張のイメージが崩れたらいやなんですけど。

話を冒頭に戻して、今は「ソーシャル与信」に代表されるように、私たちの言動が逐一把握され評価される時代がはじまったところです。

だから、今までのように「自由はっぴー」「匿名すき放題」というばかりではなく、ちょっと緊張感と責任感をもって生きたほうがいいかも。

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