「あなたの文章は、何を目的にしているのか?」
僕が8年ほど前にブログを始めた時、記事を読んだ友人がすすめてくれた本を読んで、こんなメッセージを受け取った。
それまで僕は「文章とは自分の心の内をとりとめもなく書き綴っていくものだ」と思っていたのだが、本を読んで書き方を変えるきっかけが与えられた。
友人は大手出版社に勤めていて、文章の書き方についてよく知っている。自身でもブログを開設していて、多くの人に読まれていた。
つまり、そんな友人が「文章の書き方」についての本を僕に渡すということは、僕の記事が「なっとらん」ということだったのだろう。
そのような意図があったとは、当時の僕は気づかなかった。本を読んで「ためになるなあ」と思っただけで、書き方を変えるきっかけは与えられたものの、そのチャンスを活かせなかった。
年月が経って本のことは忘れ、大掃除の時に捨てたか、誰かに貸したかで、思い出すことも無くなった。
それが今になって思い出したのは、最近僕が「表現力」を伸ばそうと思っているからだ。
自分に足りない「表現」について考えているうち、脳みそが記憶の奥底から「こんな本もありやすぜ」と情報を引っ張り出してきた。
何のために話しているのか、書いているのかわからない問題
言葉を表現することについて、ルールはない。「表現の自由」ということが、憲法でも保証されている。
「私たちの言論が統制されないために」と作られた権利だが、この権利をみんなが活かしきれているかといえば、そうとは言えない。
「どう表現したら良いか」ということを、私たちはあまり知らない。
とりあえず笑えるネタをたくさん持っていればいいだろうとか、絵文字やスタンプで盛ればいいだろうとか、そのくらいしか知らない。
中には人の悪口を言って目立つことが自己表現だと思っている人もいるし、当たり障りの無い言葉しか思いつかなくて機械みたいな表現しかできなくなってしまう僕みたいな人もいるし、自分の個性をアピールしようとしすぎて周りから浮いてしまう人もいる。
学校で習った国語の表現技術は、主に文法に関わることか、なんとなくいいこと言ってればOKがもらえるもので、自分の気持ちを表現し相手に伝えるコミュニケーションとは違った。
僕は小学4年生の時、他の作品をまねてそれっぽい詩を書いたら市のコンクールで入選してしまった。タイトルはたしか、「種って不思議だな」だった。種の不思議なところをわざわざ美しい表現を使って詩にしたものだが、種のことよりも入選したことの方が不思議だった。
私が、最初に文章の書き方を習ったのは、小学校「こくご」の「作文」だった。そこで求められたのは、一言で言って、「豊かな表現力」だったように思う。(中略)以降「豊かな表現力」というモノサシを自分でも曖昧なまま、文章全体に当てはめてしまっていた。それで「文章の良し悪しは、とらえどころがないものだ」と言う、妙な思い込みを長い間持ってしまった。(中略)
だから、文章教育をすると言っても、「発想力を豊かにさせるために生徒に絵を見せなさい」と言う先生や、テーマに対する先生自身の価値観をあれこれ披露して、後は、生徒自身の価値観を伸ばしていけと言う先生や、「苦しくてもがんばって書け」と言うような精神論で行こうとする先生がいて、なかなか指導方針が見えてこなかった。
ところが、文章の「ゴール」、つまり、その文章は、最終的に誰に読まれ、どうなることを目指すのか、に着目すると、いろいろなことが見えてきた。p29
機能し、結果を出す文章を書く
言葉を発する先には必ず相手がいて、自分が望む結果がある。
小説なら相手を感動させることが目的だし、小論文なら理論で相手を説得することが目的だ。お詫びの文章なら相手と和解することが目的で、応援メッセージなら相手を励ますことが目的となる。
つまり、良い文章というのは、それが表現された目的通りに機能する文章をいう。
蜂は巣を飛び立つと蜜を持ってくる。言葉は口から発したら結果を持ってくる
筆者は、長いこと文書指導に携わりながら、この一つのことがわかったのだという。
本書が目指す文章のゴールは、1編の完成された文章をまとめ上げることでは無い。書くことによって、あなたの内面を発現することにも留まらない。あなたの書いたもので、読み手の心を動かし、状況を切り開き、望む結果を出すこと、それがゴールだ。p32
機能する文章の7つの要件
筆者が考える「機能する文章に必要な要件」は、7つある。
1.意見
あなたが言いたいことは何か。
2.望む結果
誰が、どうなることを目指すのか。
3.論点
問題意識、着眼点。その意見を持つようになったきっかけは何か。
4.読み手、聞き手
読み手、聞き手はどんな人か。
5.自分の立場
相手から見て自分はどんな立場か。
6.論拠
その意見に納得できる根拠はあるか。
7.根本思想
根底にある思いは何か。
この7つの要素のうち、外すことができないのが「1.意見」だ。
意見だけあれば相手に通じる。
しかし、意見だけだと独りよがりな印象を受ける。そこで「6.論拠」をつける。すると相手が納得しやすくなる。
さらに、これに「3.論点」を加えることで、基本的な文章表現が出来上がる。
では、7つの要素について一つずつ解説していこう。
意見
意見は文章の核だ。意見がなくては文章は成立しない。ためしに意見のない文章を作ってみよう。
知識を詰め込んだだけでけっきょく何を言いたいのかわからない。
意見を出すためには、必ず「問い」がなければならない。疑問を持ってそのことについて考えることで、「意見」という答えを得るようになる。
ローソンがベストであるという意見を持つためには、そこに至る問いが必要だ。問いに対して答えを出し、さらにその答えに対して問いかけることで、意見はより強いものになっていく。
望む結果
その文章は何のために書いているのか?という答え、つまりゴールのことだ。
具体的には、その言葉を相手に伝えることで、相手にどうして欲しいのか、どう言って欲しいのかをはっきりさせることだ。
たとえば、「確かに。これから僕はローソンでパンを買うよ。」と言って欲しいのか。
あるいは、「素晴らしい分析です!あなたこそ、コンビニマスターです!」と褒めたたえて欲しいのか。
または、「君は、ポプラというコンビニの魅力を知っているかね?」と視野を広げて欲しいのか。
相手の反応をイメージながら文章を書こう。
論点
論点とは何か。
「論点」とは、文章を貫く問いだ。著者の問題意識と言ってもいい。よく「独自の切り口」と言われるのが、論点のことで、どのような問題を、どのような角度で扱っているのかということを指す。文章の方向も、読み手の興味も論点で決まる。p64
具体的な例でいえば、雑誌の見出しやブログのタイトルに論点はよく表れている。
このような記事を雑誌やブログでよく見かける。論点は、書き手のものの見方が表れる部分だ。人の数だけものの見方はあるから、論点は無数に設定できる。
思いつくままにいろいろ書いてみたが、これらどの論点で語るのだとしても、「ローソンのリラックマプレート」について語ることになる。
しかし、語り口はまったく異なってくる。
「論点」は書き手のものの見方であり、読者が興味を持つかどうかは「論点」で決まる。
「ビジネス戦略」という論点で語るなら、ちょっと固い記事になり、サラリーマンに興味を持ってもらいやすくなる。
「交換しました」という報告ベースで語るなら、日記になり、友人知人が興味を持ってくれる。
「リラックマ押し」で語るなら華やかな記事になり、リラックマ好きな女性に興味を持ってもらえる。
「裏技」という論点で語るなら、ちょい悪な記事になり、グレーなことが好きな人に読まれるだろう。
「おまけの歴史」という論点で語ると、文章はレトロな雰囲気になり、コレクターや子供時代を懐かしむ大人の方々に読まれやすくなる。
このように、一つのことを語るにしても論点は無限に存在する。著者の観察眼によって、どのようにでも話は展開できる。
論点とは、例えるなら登山口である。山を登る時、登山口が様々あるように、論点も様々にある。
そして、どの登山口から登るかによって景色は全く異なるように、論点によって記事の内容は異なってくる。
しかし、山の頂上は一つであるように、意見は一つ、同じことについて語っているのである。
つまり、「どういうルートで頂上まで登るのか」、それを決めるのが論点である。
登り方によって景色が変わるように、論点によって語り口が変わる
関係性
読み手はどんな人なのか、自分との関係性はどのような人なのか。これによって、同じことを言っても反応は全く違うものになる。
コンビニのたとえは飽きたから、本書から例文を挙げる。
例えば、あなたが出張に行って、とても仕事ができる人に会ったとしよう。(中略)
そこで、同僚、上司、後輩の3人へ、この人のことをメールに書いて送った。文章内容は、ほとんど同じものだ。(中略)ところが、3人から、こんな返信が届いてしまった。同僚からの返信メール
いやあ、なんだかいいなあ、その人。(中略)よっしゃ、この企画、ぜったいいいものにするからな。じゃ、出張がんばって。上司からの返信メール
出張、お疲れさま。せっかくだけれど、当社は外注先を決定する時、競争入札という形をとっています。いかにいい人材がいたとしても、私情では外注先は決められません。そのことは押さえて行動してください。後輩からの返信メール
本当にすいません。私の応対が暗いって、先輩もおっしゃってましたよね。(中略)先輩が今日、会われた方のように、さわやかな応対をこころがけたいんですが、なかなか変われず、自分で自分が情けないです。p82-p83
どうしてこのように反応の違いが起こるのだろうか。
それは、人は、情報を受け取るときに、自分との関係や意味、損得などをついつい考えてしまうからだ。この例文では、同じ文章が、同僚には「励まし」と捉えられ、上司には「進言」だと捉えられ、後輩には「注意」だと捉えられた。
同じことを書いても、結果が違うということは、同じ結果を得るためには相手に応じて書き分けをしなければならないということだ。
そのためには、相手の立場に立たなければならない。
書くためには、よく見なければならない。自尊心がバラバラと崩れるまでに、痛いまでに。自分の都合とはまったく関係なく生き、動いている他者を、社会を、見ることだ。
自分の立場を発見するとは、世界の中の小さな自分を発見し、その生かし方を研究することだ。p91
論拠
意見が通るか通らないかは、「論拠」による。
意見だけ言うと相手には乱暴な印象を与える。
そのため、「なぜなら」という論拠を示す必要がある。
論拠は、自分と相手の間にある。
つまり、自分の都合だけを考えた論拠ではなく、相手の都合も考えなければならない。相手が受け入れられる根拠が必要だからだ。そうでなければただの自己満足になってしまう。
ときには、相手が反対意見を持っている場合もある。その場合は、反対理由に対する論拠も必要となる。
相手が不特定多数の場合は、論拠も様々に用意する必要がある。そのためには、問題を多角的に見ることが必要だ。
根本思想
文章だけなら嘘ついてもバレないだろう。と思うのは間違いで、文章だけでもその人のキャラクターはおおよそわかるものだ。
意見は、ちょうど氷山の見えるところのようなもので水面下には、その何倍もの大きな、その人の生き方・価値観が、横たわっている。それが「根本思想」だ。
根本思想は、短い文章にも、ごまかしようなく立ち表れてしまう。根本に、人に対して温かい想いを持っている人の文章は、さりげない書き方をしていても温かさが伝わってくる。また、生き方が後ろ向きな人は、何を書いても、どう書いても、やはり後ろ向きな印象が伝わってしまう。p105
これは不思議なんだけどよく伝わる。隠すのが難しい。
僕も、相手の文章を見て相手がどんな気分なのかがわかることがある。数年前、友人からLINEで「今、忙しい?」の一文が届いた時、何か不自然だと思って調べたら「LINE乗っ取り」だったということもあった。
著者は、自分がネガティブな気持ちの時は文章を書かないという。そしてしばらく待って、また温かな気持ちが湧いてきたら筆をとるのだそうだ。
だから、文章を書く人だけでなく、何かを表現する人は、自分のコンディションを万全にしておく必要がある。アスリートのように自分を良く管理してこそ、良い文章も書けるようになる。
たとえとして絶妙だと思うのは、「う○こ」の話だ。
健全な体からは健康なうんちがでる。健康状態が悪い時に出てくるものは臭かったり水っぽかったり、異常なのだ。
同じように、自分のコンディションがバッチリであってこそ、良い文章が自分の中から出てくる。気持ちが荒んでいる時に書く文章は、相手を不快にさせる、というわけだ。
このたとえは、トヨタの社長や日銀の総裁が尊敬する『伊那食品工業株式会社』の塚越寛会長の考え方を拝借した。
会社が利益を生み出すのは、よい便が出ることと同じ。会社が健全であってこそ生み出すものも健全だ、という話を聞いたことがある。
うんちは、子供にとっては生まれて初めて経験する「生産活動」だという。子どもがうんちに並々ならぬ関心を持つのは、自分が作り出したものに対する関心なのだそうだ。
子どもはうんちくん大好き
会社も「生産活動」をするところだから、うんちも会社も原理は同じなのだということが、妙に納得がいった。
作家の村上春樹は朝4時から執筆活動を始めて、13時には終わらせるそうだ。これは、人間の体内リズムが朝4時から昼12時までは「排出の時間」と決まっていることと、関係がある気がしてならない。
話がずれた。「うんち」という単語をここまで連発したのははじめてだ。
とにかく、自分の根本思想は相手に伝わるということだ。
そのため、文章を書くようになると自分の健康にも気を使うようになる。よい文章を書こうとするならば、それを生み出す自分のことを気にせずにはいられないからだ。
おわりに
本書による「機能する文章の要素」は7つある。
1.意見
あなたが言いたいことは何か。
2.望む結果
誰が、どうなることを目指すのか。
3.論点
問題意識、着眼点。その意見を持つようになったきっかけは何か。
4.読み手、聞き手
読み手、聞き手はどんな人か。
5.自分の立場
相手から見て自分はどんな立場か。
6.論拠
その意見に納得できる根拠はあるか。
7.根本思想
根底にある思いは何か。
ぜひ意識して文章を書いてみてください。