わかりやすく教えるには相手がよく知ってる話から入っていくとうまくいく

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兄妹で浅草観光に行った時のことです。

仲見世をぶらぶらしてご飯を食べた後、浅草寺にお参りに行くことにしました。

途中だんごや抹茶アイスを食べながらお寺まで歩いていきます。今考えるとだんご食べ歩きながらお願い事をしに行くなんて不謹慎極まりない気がします(笑)

お寺の前にある香炉で煙を浴びて石段を上り、さい銭箱のまえまできたのですが、私はお参りをする気にならなかったので、妹たちが終わるのを待っていました。

すると妹がなにやら不思議な動きを。

財布から小銭を出して、さい銭箱に投げ入れ、二礼二拍手一礼…

っておい!それは神社のやり方だよと教えてやると「お寺と神社の違いがわからない」と言い出しました。

たしかに日本ではお寺も神社もごっちゃになっているところがあるのでどうでも良いのですが、さすがに大勢の参拝者の前で神社式に願い事して「これでよし」みたいな顔をしてるのは恥ずいっしょ。そもそもそれ観音さま激おこドリーム級の罪だから。

ということで、なんとかうまく教えられないものかなあと頭をひねりました。

神社とは何か、お寺とは何か。2つの違いは何か。説明の仕方はいろいろあります。

文章における論点の話を以下の記事でもしましたが、どこから切り口を見つけてどこに話を持っていくかが文章を書いたり人前で話すときには重要です。

伝わる文章の書き方。巣から飛び立った蜂が蜜を持ってくるように、良い文章は結果を持ってくる

まったく知識のない人に対して何かを教えるには、その人が知っていることから話を繋げていかなくてはいけません。

ですから学校で習った通り学問的な方向から話せば通じるかといえばそれは人を選びます。少なくとも勉強嫌いの妹には伝わりません。学校教育も早く変わるといいんだけど。あのやり方は置いてかれる人多すぎ。

留年について-カウンセリングルーム(京都大学) – 学生総合支援センター

文部科学省の学校基本調査によれば、4年制学部を4年で卒業するのは、入学者のおおよそ8割弱です。超過して在籍せずに4年で退学したり、それ以前の学年ですでに退学している学生もいますので、残りの約2割のすべてが5年目に突入するわけではないのですが、それでも高校の場合と比べれば桁違いに多くの学生が既定の年限を超えて在籍します。留年も含めてとにかく卒業までこぎ着ける人は、入学者のおおよそ9割です。
(中略)
これだけの数の人が留年したり、退学したりするということは、留年や退学は、単に個人の失敗としてのみ捉えられるべきものではないということです。つまり、現在の日本の社会において大学というシステムは、一定数の留年や退学を生み出すようにできているものなのだということです。

話を戻して、うまく伝えるにはどうしたら良いか考えながら「神社は『神道』で八百万の神が」とか「お寺は『仏教』でお釈迦様が」などと説明してみたのですがまだモヤモヤが晴れません。一体どうしようと思った時に思い出したのが、スタジオジブリの長編アニメーション『千と千尋の神隠し』でした。

私の家族は、私も含めてスタジオジブリ作品が好きです。実家にはDVDもあります。

『千と千尋の神隠し』にはいろんな神様が銭湯にやってきますね。おしらさま、おおとりさま、おくされさま、ハク。あれが神社、神道だよと言うと納得した様子でした。

何か説明しようとするとき、たとえは本当に使い勝手が良いです。

おわりに

浅草観光では4歳の姪に数字の数え方も教えました。たくさん教えられておじさん冥利につきるというものですが、人を教えるにはその人に合わせなければならないことを強く感じました。価値観が多様化している現代ならなおさらです。

そしてとりあえず妹は観音さまから天罰を受ける予感しかない。

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