4歳の姪に数の数え方を教えたときの話

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兄妹と姪の4人で浅草観光に行った時の話です。

浅草寺でお参りを終えて花やしきまでやってきましたが、目の前まで来て考え直し、やっぱり押上のプラネタリウムを見ようということになって歩いていきました。

プラネタリウム“天空”in 東京スカイツリータウン | コニカミノルタ – プラネタリウム

隅田川を渡ってひたすら歩いていきます。

思ったより遠かった。30分くらい歩いたでしょうか。一駅歩ききった4歳の姪はすごいよ。途中「けっこうたくさんあるいたからもう着くよね。」というセリフがなんとも子どもらしい。

着いたのが15:30だったので16:00スタートの会を見ることにしました。

開演時間までソラマチをぶらぶらしてようかと思って歩き出したところ、うしろから「こんにちは。」と声をかけられました。

振り返ってもそこには誰もいません。まさか怪奇現象かと思いましたが、下を向くと姪が立っていました。

成り行きで二人で歩くことになりましたが、私は子供のあやしかたを知りません。帰省して姪に会うときはいつも泣かれてしまうほどです。なぜ今日は並んで歩くことになったのか、やっぱり怪奇現象、妖怪のせいだと思いました。

あるレストランの前に来たときに姪が立ち止まります。そこにはビール瓶を山のように積んだオブジェが飾ってありました。姪は「いくつあるか数えよう」といいます。

姪は数や文字に強く、4歳にして足し算もできます。

そっか。じゃあ俺はこの子が数えるのを見ていて、終わったらほめればいいんだ。

そう考えて姪が数え終わるのを待っていました。

…19、20!じゃあつぎ数えて。
あ、そういうこと?一緒にやりたいとか、女の子ってこのくらいの年からこんな感じなのか。まあいいや。
オッケー。21、22。

30あたりまで数えたら空しくなってきました。30歳を超えるおじさんが「30、31」とか数えてるのはちょっとみっともないです。上の絵は私が姪と数を数えている写真を加工したものですが、このときの私は「世界のナベアツ」が脳裏によぎるのをふり切りながら必死に数を数えていたのです。

数えるのを辞めたかったのですが、理屈で説明してわかってもらえるものでもありません。
「私ほどの年齢の大人が数を数えるのは社会的に見て恥であり、また私はすでに小学校で算数を学び終わっているのだから、数えてもためにならない。故にここは君が数えるべきだ。なぜならこれは君の計算力を高めるためにやっていることなのだから。」などと理論をこねくりまわしても4歳児が納得するわけがありません。

理論がだめならいったいどうやったらうまく姪にボールをパスできるか考えた結果、とぼけることにしました。

あれ?39の次ってなんだったかなあ。
40!41、42…

作戦成功。

数が得意な姪ですが、50を過ぎるくらいからだんだん難しくなっていったようで頭を悩ませるようになりました。でも諦めないんですよね。

こうなると私もおっさん根性を発揮して「じゃあ教えてやろう」という気持ちになるので、興が乗ってきます。

…79…79…7の次は8だから、80?

子供の考え方は面白いですね。

100まで数えようということで数えてきて、ついに99まで数えました。

しかし次の数字がどうしてもわかりません。確かに「1の次は2、2の次は3」という論理で覚えている姪にとっては「位が上がる」というのは今までの発想法では難しいのだろうと思います。

最後は姪の一言で終わらせたいと思いましたが、答えが出てこないように思えたので教えてしまいました。いつか十進法がわかるといいね。

ちなみにプラネタリウムの姪の座席番号は「09」でしたが、姪は「90」だと言っていました。確かに「09」と「90」「60」「06」ってチケットの向きを変えたら同じですからね。

我々はどうやってこれらの区別しているのでしょう。改めて考えると自分たちが自然に判断していることが不思議です。前後関係から答えを出しているのでしょうか。

数字の開発者様におかれましては、まぎらわしいのでぜひ表記の改善をお願いするしだいです。

おわりに

帰り際、姪はプラネタリウムが退屈だったためか疲れ顔でしたが「今度は200まで数えよう。」というと笑顔になりました。

その顔を見て「この子は勉強やらせたらけっこう良いとこ行くんじゃないだろうか。」と伯父馬鹿を発揮しながら、人は適性通りに力を発揮させるのが大事だと感じました。

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