ブログ記事を量産する速筆の練習

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

ブログは記事の一つ一つが建物の材料のような役割を果たし、メディアという大きな不動産を生み出します。不動産ができたらそこに人を集めるなりビジネスをするなり可能性が広がります。

だから記事がたくさんあることがメリットになるのですが、私たちの時間は有限です。一つの記事にたくさん時間をかけたい気持ちはあってもそうしてばかりもいられません。

そこで「なるべく速く書く」方法を模索していました。そうしたらちょうどアマゾンで本を見つけました。それを読んだので紹介しようと思ったら、あれ…もうない。

仕方がないので同じ著者の同じテーマの本を挙げておきます。著者は書くのが速すぎて消すのも早いのかもしれません。

ただ速く書く方法が書いてあるのかと思いきや、速く書くことのメリットまで紹介されていた点が目から鱗でした。その骨子は「考えないで書く」ということです。

私は名前にもある通りすごく慎重なので、何をやるのも遅いです。そのぶん人からは「君は誠実だね(棒読み)」と言われたこともありますが、その正体は誠実なのではありません。ただあれこれ考えて、全ての信号が青色に変わるのを待っているだけです。

それだから完璧にやろうとする癖がついていて、それを当然だと思っていました。文章を書くときも「しっかり時間をかけたものの方が良いものができる。」という考えでした。

が、本書によると世界的な文豪にも速筆の人は多かったといいます。これは私の頭にはないことでした。「速く書くほどクオリティは下がる」そういう考えだったのですが、どうやら違うようです。

ドラクエのテーマ曲は5分で作られたといいます。将棋の羽生さんは「20秒で考えた一手と十分に時間をとって考えた一手が結局同じであることは多い」と言います。

「曲を作ろうと思って、椅子に座ったら目の前にリンゴがあったんです。それでウンッてペンを刺したら「これだ!」というひらめきがありました。次の瞬間には踊り出してましたね。」byピコ太郎

こんな風にパッと出たひらめきがとても優秀であることは多いです。

人間の頭は意識的に動かしている部分と無意識に動いている部分がありますが、意識的な部分はこれから人工知能にどんどん取って代わられます。だから私たちは無意識の領域をうまく使っていくことがこれからやっていくことなのではないかと思います。

速く書くことのメリット

速く書くことのメリットは、書いた文章に勢いがつくことです。

丁寧に書いた文章には正確さが表れますが、勢いは削がれてしまいます。

なぜかというと、考えながら書くことは人目を意識しているということだからです。

社会的にあの人の目も、この人の目も意識して書いていると文章は固くなってしまいます。

一方で、頭に浮かんだことをそのまま書いていくというのは、無意識にやることなので、文章がどんどん湧いてきます。

言葉というのは臆病なもので 、緊張していたり楽しいと思っていないときには 、なかなか出てきてくれないものなのです 。反対にリラックスした状態で 、楽しみながら書いているときは 、言葉はどんどん出てきます 。言葉は楽しいことが大好きなのです 。

速く書く方法

速く書く方法は、とにかくまずは書いてみることです。はじめは支離滅裂でも良い。とにかく文字に起こしていきます。

するとまるで運動しているうちに体があったまるように、書いている文章も整ってきて熱を帯びるようになります。

あまりに速度が速くなると 、わけのわからない世界に突入してゆくのです 。文章も支離滅裂になって 、よくわからない 、非常に難解な文章ができあがるのですね 。
でもゆっくり書いていたのでは絶対に書き得ない 、美しい文章がそこから生まれたりするのです 。

ポイントはあまり考えずに文字を打ち込んでいくことです。

無意識に書くということは楽しいものです。たとえば気の置けない人と話している時にはあまり考えていません。そして言葉が溢れてきます。話に花が咲いて、話している方も、聞いている方も楽しいものです。

そのように、文章もあまり意識せずに書いたものの方が、書いている方も楽だし読んでいる方も楽しいのです。

あまりに意識して丁寧に書こうとしたものは、書いている方も筆が進まないし読んでいる方も退屈に感じてしまいます。

失敗してはならないと思えば思うほど 、文章は書けなくなり 、また質もどんどん低下していきます 。反対に失敗してもいい 、気楽に書こうと思っているときには 、書くことがどんどん浮かんできて 、質自体も向上してゆくのです 。だから速く書くためには 、まず書くこと自体を楽しむこと 。苦しい 、書きたくないと思いながら書いていると 、なかなか言葉が出てこないのは当たり前です 。反対に楽しんで書いているときは 、スラスラ言葉が出てきます 。

勢いを削がないためには、途中で校正してはいけません。校正をすることは走っている途中で止まるようなもので、体力を使います。

それよりは走り続けた方が楽です。

またゆっくり書くよりはある程度のスピードを維持したまま書く方が楽です。

私は最近ジョギングを始めましたが、あまりにゆっくり走っていると逆に疲れることがあります。それより自分の出来る範囲で速度を上げて行った方が楽です。

考えが浮かんできたまま書くことで、そのスピードを維持することができます。

無意識に書いたものは熱がこもっていて書いている方も読んでいる方も楽しいです。しかし、あまりに考えなさすぎて読む人の失礼になったり理解できないものをそのままアップするわけにはいかないこともあります。

ですから校正は最後に行います。ある編集者さんは、書いたものを一晩寝かせて翌日に読み返すのだそうです。そうすると書いた時には気づかなかったところを直すことができるといいます。

文章を書くエネルギー源

言葉のエネルギーになるものは「言葉」だといいます。ここがけっこう私にとっては面白いところでした。

文章を突き動かしている原動力とは 、一体どこにあるのでしょうか 。なんにおいても原動力というものは必要です 。車を動かすためにはガソリンが必要ですし 、人間が動くためには食べ物が必要です 。そして文章にも 、それを邁進させるための原動力というものがあるのです 。私はそれを 「ことば 」であると思っています 。

言葉を話すには言葉が必要だということです。良い言葉を話そうとただあだ頭をひねっているだけでは何も出てきません。それよりは書いた方が良いということです。または「読む」のも効果的だろうと思います。「案ずるより産むが易し」ですね。

おわりに

この箇所が一番好きです。

重要なのは 、文章を書こうとはせずに 、できるだけ受動的な状態に身を置くということです 。書くという行為は能動的なものですが 、むしろ読むという受動的な状態で書くほうがうまくいくのです 。能動的になると意識が先行し 、意識が先行すると言葉はうまく出なくなるのです 。反対に受動的になると 、無意識が有利となって動き出します 。

難しい表現ですが、あえて別の言い方をするなら「フォースを感じとってその能力で書け。」ということになるかと思われます。

無意識に集中するとゴチャゴチャした考えばかりが浮かんできて嫌になることもあるかと思います。その場合はまず書くことより自分の気持ちの整理が先になりますので、そのことについてはまた別の記事で書けたらと思います。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*