ブログは記事の一つ一つが建物の材料のような役割を果たし、メディアという大きな不動産を生み出します。不動産ができたらそこに人を集めるなりビジネスをするなり可能性が広がります。
だから記事がたくさんあることがメリットになるのですが、私たちの時間は有限です。一つの記事にたくさん時間をかけたい気持ちはあってもそうしてばかりもいられません。
ブログは記事の一つ一つが建物の材料のような役割を果たし、メディアという大きな不動産を生み出します。不動産ができたらそこに人を集めるなりビジネスをするなり可能性が広がります。
だから記事がたくさんあることがメリットになるのですが、私たちの時間は有限です。一つの記事にたくさん時間をかけたい気持ちはあってもそうしてばかりもいられません。
あけましておめでとうございます。
新しい年を迎え、目標も新たに歩んでいきたい矢先に思い返すのは去年の元旦。
私が2016年のはじめに立てた目標はその後どうなったかというと、およそ3日で忘れ、残りの362日があっという間に過ぎていったのであります。
題名そのままです。これ以外の何でもないのですが、ブログをやっている方の参考になるようにもう少し詳しく書きたいと思います。
以前こういった記事を書きました。
http://shinyaowari.com/amount-or-quality
この記事の結論は、「ブログの運営はまず記事の量を優先して、ある一定の記事数が貯まったら更新率を落として記事の質を上げることに注力するべき」ということでした。
この記事でわかったことを私のブログに当てはめると、明らかに記事数が足りないということで、まずは更新率を高めようということになりました。
それまでは2週間に1回くらいのペースで更新してきました。更新率を上げたかったのですが、なかなかうまくいきません。今までやってきたやり方を変えるのが難しかったのです。
そんなときに兄妹で浅草観光に行くことになりました。けっこう面白くて考えることが多かったので、
「じゃあこれを記事にしよう。誰の役にも立たなそうだけど」
ってことで旅行から帰ってから1時間くらいかけてその時あったこと考えたことをダーッと書いていったんです。
画像もほとんど使ってませんしキーワードもあまり意識していません。出来上がったものを読み直した時に、あきらかに構成は整っていないし話が前後して行ったり来たりしているのが気になりました。
本来は校正すべきなのでしょうが、
「いいや、日記だし。記事数が増やせればそれでいいんだから。」
ということで投稿してしまいました。
インターネットでよく見るような「浅草観光」な記事ではなく、ちょっと極端なことも書いているので、きっと浅草のことを知れると思ってこの記事を読んだ人はがっかりするだろうなあと思ってすらいました。
しかしアクセス解析を見てみたら、浅草の記事を投稿し始めた時期からアクセスが2倍になっていました。
私の考えでは「ちゃんと記事を校正して整理しないと読む人が紛らわしいのでは」と思ったのですが、ブログを読んだ妹にも「私は読書しないけど読みやすかった。」と言われました。いや読みやすいわけないと思うだけどな。でもそれが現実です。
最近はSEO対策された丁寧で個性のない記事が嫌われているという話をちらほらききますが、そのことを少し実感しました。
そしてはっきりと確信したことは、今までの私は努力の方向が間違っていたということです。何がきっかけでうまくいくようになるかわかりません。
自分の思い込みでうまくいかないことがあります。ほんの少しのずれが足かせになっていることもあります。ねじ一個締めれば動き出す車のような状態である場合もあるということです。
将来的には記事を更新しているだけではアクセス数も頭打ちになるのでしょうけど、ブログの記事数が少ないときはとにかく「更新、更新!」するべきであることがはっきりわかりました。
私の予測では300記事から400記事くらいまではたくさん更新していくことが重要なんじゃないかという気がしています。これもまた仮説ですが、このブログで実証できたらよいと思っています。
これまで一つの記事に3時間4時間、長いものだと10時間以上かかっていますが、それが30分かけて描いた記事を投稿したとたんに改善するなんて、ほんと何が起こるかわからないものです。
「ブログは量か質か」についていろいろ調べまくった結果、「ブログを始めたばかりのころは、それなりの品質の記事をたくさん書き、ある程度記事が貯まったら質を重視してじっくり書くと良い。」という意見に落ち着きました。