パクリと創作の国境線はどこにあるのか

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創作をしていると必ずぶつかるパクリ問題。

自分がパクっている可能性もあるしパクられている可能性もあります。

そもそもどこからがパクリでどこからが創作なのでしょうか。冒頭の写真はポーランドとロシアの国境ですが、パクリと創作の境目もこのくらい適当なのではないかと、私には思われるのです。

というのは、私たちは0から何かを作ることができないからです。必ず材料があって、そこから何かを生み出しています。

1940年に書かれ不朽の名著といわれる『アイデアの作り方』によると、新しいアイデアというのは既存のものの組み合わせでしかありません。

アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない。

考えてみれば、世紀の大発明であるかのようなiPhoneでさえ、「電話」と「音楽プレーヤー」・「インターネット」を組み合わせたもので、まったくのオリジナルではありません。スティーブ・ジョブズ自身がこう発言しています。

Today, Apple is going to reinvent the phone.

(今日アップルは電話を再発明する。)

そして電話は何の組み合わせかというと、マイクとスピーカーの組み合わせです。すごく離れた距離をマイクとスピーカーでつなげたものが電話です。


↑離れた距離にあるマイクとスピーカーを電話線で繋いだのが電話

電話の発明者グラハム・ベルが電話の構想を得るのに参考にしたのが、レコードの元になったフォノトグラフだといわれています。


フォノトグラフ

これはフランス人技師のエドアード・レオン・スコットが発明したもので、音の振動を波形図に記録する装置です。

パクリ問題は根が深いですね。こんなことではいつまでたってもワイドショーのネタが絶えません。

ていうか音を電気信号や波形図に変換するという発想は、鼓膜を震わせて神経信号に変換する装置、“耳”が元になっています。

つまり電話もレコードも、耳をパクったものなのです!みなさん、パクられてますよ!

こうして考えると、何が新しくて何がパクったものなのかなかなか判断が難しくなります。

許されない“パクリ”と許される“真似”の決定的違い

東京オリンピックのエンブレムがパクリだというニュースが話題になりましたが、あれも難しい問題です。なぜならエンブレムというのは世界に億を超える数があると言われていて、どうしても似た作品が存在してしまうからです。

エンブレム問題が炎上した一方、昔からB’zの音楽はいろんなアーティストの楽曲に似てると言われますがパクリだと言われないんですよね。あれはあれで不思議な現象です。私は音楽をあまり聞かない人ですが、B’zは好きなので何も問題が起こってほしくない派です。

(上)B’z『BAD COMMUNICATION』 / (下)Led Zeppelin『Trampled Underfoot』

(上)B’z『ALONE』 / (下)Motley Crue『Time For Change』

Aerosmith『What It Takes』とB’zの『憂のジプシー』があまりに一緒だっつうんで続けて歌ってみた人もいます。

音楽って極端に言えば「ドレミファソラシ」の組み合わせですからね。似た曲ができるのはしょうがないっちゃしょうがないのかもしれません。

聲不過五、五聲之變、不可勝聽也

(音は宮・商・角・徴・羽の五つにすぎないが、その五音階の混じり有った変化はとても聞き尽くせない。)

出典:『孫子

佐野さんのエンブレムは問題だがB’zの楽曲は問題ではない。この2つの何が違うかといえば、エンブレムには誰も好感を持たなかったがB’zのことはみんな好きってことでしょうか。好きか嫌いかがパクリだとされるかオリジナルだとされるかの分かれ目になっているように思えます。

今こうして書いているブログは、ひらがなとカタカナ・漢字・数字・英語の組み合わせです。そこに独自性はみじんもありません。私が作り出した語彙もありません。

この日本語は私が生まれたときに話しかけてきた両親から学んだのが最初です。あたかも私の言葉として話しているけれど、考え方によってはパクリです。こんなブログに堂々とその日本語を書いてしまってるため、両親から訴訟を起こされないかヒヤヒヤしています(!?)。しかし両親も祖父母からパクっているのです。祖父母は曽祖父母から…。ていうか日本語って中国からパクってきたものじゃん。

こんな風にうがった見方をすれば全てがパクリなのですが、常識的に考えて、いや考えなくてもこんなことで私が両親から訴えられる可能性は0です。なぜかというと教育の義務があるからだとか日本語に著作権はないからだとかいう法的な理由うんぬんより、お互いに信頼があるからです。

最近、夫をATMだと言ってはばからない主婦の方のブログが注目を集めていました。


夫がATMになった日 / てぬきぐらし 〜毎日寝てすごしたい〜

普通、男性のことを財布だと思っている女性は毛嫌いされるもので、ネットでは怨嗟の声に溢れかえっていますが、このブログではそれがネタになっていて面白いですね。

話がずれてきたのでまとめると、この世の中からパクリ問題がなくなるのは、法律や空気を読むといったことでは無く、「好き」とか「信頼」といった個人の感情に関わる部分が全てです。

おわりに

24時間テレビの「愛は地球を救う」じゃないですけど、そういう一面もありますね。

なにはともあれ、とりあえずB’zのように魂を燃やしとけばいろんな問題はスルーできるのかと思われ。

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