社会勉強

トランプ大統領はこんなことを考えて政治をするよ、ということがわかる演説の中身。

2/28にトランプ大統領が初めて施政方針演説を行いました。

いつもの暴言を連発するトランプ節は鳴りを潜め、大統領らしい演説だっとの評判で、トランプ大統領に批判的なメディアであるCNNが行なった世論調査でも「視聴者の7割が『展望は明るい』と答えた」と言います。

トランプ氏の施政方針演説、視聴者の7割が「展望明るい」 | CNN

先日は日本の施政方針演説をまとめましたが、今日は日本の同盟国アメリカの方針も見てみたいと思います。

http://shinyaowari.com/prime-minister-abe-speech ‎

トランプ大統領はこの日、演説会場にいつもと違う格好で現れます。

それはストライプのネクタイをしていたことでした。

いつもは「真っ赤」や「真っ青」な“パワー・ネクタイ”を付けているトランプ大統領です。力を誇示するネクタイですね。

しかし、この日は“わざと”実業家らしさを演出したと言われています。

ネクタイから読み解くトランプ演説 | Market Hack

パワー・タイは(俺様はパワフルなんだぜ!)ということを世間に対して誇示するときにつけるものです。だから大統領選挙の討論会などの場ではパワー・タイは必須です。

しかし今回のトランプ大統領のファッションは「実業家風」でした。

これは暗にトランプが(これから腕まくりして難作業に取り組みます)という決意をシグナルしているのであって、それは謙虚で、へりくだった姿勢と言い直すことも出来ます。

事実、昨日のトランプのスピーチからは、普段の傲慢さが消え、ソフトで、耳触りの良い言葉が聞かれました。

出典:Market Hack

演説の内容も実業家らしい内容でした。

演説の内容を一言でまとめると「アメリカを立て直す」ということです。

実業家として「アメリカは今どういうことで損をしていて、どうしたらもっと利益が得られるか」といったことをメインに話していましたところが印象的でした。

以下はポイントだけまとめたものです。


アメリカの精神を復活させる。

あまりにも長い間、雇用や富が海外に流出してきた。アメリカに自由に外国人が行き来するのを放置したため、薬物がたくさん流入している。アメリカ国民を第一に考えなければならない。

カナダと連携して女性起業家を支援する。

すべてのアメリカ国民に成功してほしい。しかしこれは、混乱した環境では実現しない。そのため、メキシコから移民が勝手に入ってこないように国教に壁を作る。

2001年の同時多発テロの加害者はほとんどがアメリカ国外からやってきた人。入国を無制御に許可することは思いやりではなく、無謀。アメリカに入国できるのはアメリカを愛する人でなければならない。入国審査の改善に取り組み、危害を与える可能性のある人物を追い出す。

ISを地球から一掃する。

オバマ政権では外交政策が失敗して借金が大幅に増えた。アメリカ経済のエンジンを再稼働させなければならない。減税をしてアメリカで事業をしやすくする。

貿易は公正でなければならない。アメリカの企業と労働者がつけこまれることは許さない。

能力の低い移民を受け入れる今の制度から、能力に応じた移民を受け入れる制度に変える。

これまでに中東に6兆ドル費やしてきたが、このお金があればアメリカを2回再建できたはず。再建のために1兆ドル使って数百万人を雇用する。

オバマケア(「みんな保険に入りなさい」という制度)でアメリカの保険料が2桁か3桁増えたから撤廃する。

恵まれない子どもたちが自分に合った教育手段を自由に選べるようになるべき。

貧困の連鎖を断ち切らなければならない。そのためには暴力の連鎖を断ち切らなければならない。そのためには、警察と(対立する事件が多発したけど)協力しなければならない。

メディアや特定の団体に押し殺されてきた人たちが声を上げられるよう、犯罪被害者を支援するオフィスを作る

アメリカを守るために国防費を増やす。

直接的で、強固な同盟関係を結ぶ。同時に公平な負担を要求する。

この演説を見ている皆さんに、自分を信じ、未来を信じ、そしてもう一度、アメリカを信じるようお願いします。


まとめると、今までのお金の使い方と人の移動に対する批判と、弱者を助けるというメッセージが強い演説でした。

一国の大統領というより、会社の社長のようなことを言っていますね。

日本は移民を受け入れないから実感がわきませんが、例えるなら、アメリカは誰でも入社できるようにして風紀が乱れた会社のようだとトランプ大統領は言っているわけです。

だから、これからは人を選びます。試験をしてふるいにかけますということですね。

こう言われると、今まで「移民を受け入れないことは人種差別だ」という意見が強かったものの、移民を規制をするという主張にも一理あるように見えてきます。

「アメリカを立て直す」それはただ良いことばかりを言って大盤振る舞いをする政治ではなくて、会社を経営するように実体的に、堅実に運営していくということだというんですね。

そういった決意が、スピーチからも、ネクタイからも伝わって来る内容でした。

〈参考〉トランプ大統領 初の議会演説 要旨 | NHK NEWS WEB

『サピエンス全史 下』を超ざっくりまとめ。現代の常識がどうやってできたのかの経緯とその影響と未来について

やっと読み終わりました。

すごいボリュームでした。私たちが当たり前に思っていることが過去どのような経緯を経てできて、私たちの生活にどういう影響力を与えているのかをおおざっぱに把握することができました。

このブログでは、そのうちの「火」「言葉」「農業」「お金」についてとりあげてきました。

http://shinyaowari.com/homo-sapiens-history

http://shinyaowari.com/agriculture-revolution-luxury

http://shinyaowari.com/currency-identity

今回「科学」「産業」「資本主義」「国家」「個人」などについてざーっと取り上げてレビューを終わりにしたいと思います。

西暦1500年くらいまでは、上に挙げたものは存在しませんでした。

だから、人々が「贅沢をしたい」と思ったときは「他国を侵略する」という方法が取られていたんですね。私も以前はよく「戦争モノ」のゲームをやっては「侵略たのしー!」と思っていました。

当時の人々は、「自分たちが価値を生み出す」という考えを持っていなかったからこんなことを大真面目にしていたんです。「戦争は聖なるものだ」と昔の武将や騎士たちは考えていたそうですよ。

ところが、科学の力を手に入れてから、贅沢は奪うものではなく作ることができるものになりました。

解決不可能のはずの問題を科学が一つまた一つと解決し始めると、人類は新しい知識を獲得して応用することで、どんな問題もすべて克服できると、多くの人が確信を持ちだした。貧困や病気、戦争、飢饉、老齢、死そのものさえもが、人類の避けようのない運命ではなくなった。それらはみな、私たちの無知の産物にすぎないのだった。  有名な例が雷だ。多くの文化では、稲妻は罪人を罰するために使われる、怒れる神の鉄槌だと信じられていた。

科学の発展は、大きな富を人類にもたらしました。

「自分で富を作り出せる」という自信は、「資本主義」という考え方を生み出しました。

これはスーパーざっくり言うと「稼いだものを再投資すればもっと稼げる。」という考え方です。昔はそうじゃありませんでした。

近代以前には、人々は生産とはおおむね一定しているものだと信じていた。だから、何をしようと生産が大幅に増えることがないのなら、なぜ自分の得た利益を再投資する必要があるのか、と考えた。こうして、中世の貴族は気前の良さと派手な消費を旨とする倫理観を支持した。彼らは収入を馬上試合、晩餐会、大邸宅、戦争、そして慈善事業や壮大な大聖堂に費やした。

そこに科学革命が起こり、進歩という考え方が登場した。進歩という考え方は、もし私たちが己の無知を認めて研究に投資すれば、物事が改善しうるという見解の上に成り立っている。この考え方は、まもなく経済にも取り入れられた。進歩を信じる人々は誰もが、地理上の発見やテクノロジー上の発明、組織面での発展によって人類の生産や交易、富の総量を増やすことができると確信している。

科学は産業革命も起こします。産業革命は人々に大きな力を与えました。

たとえば、蒸気が鍋のふたを持ち上げる力を利用して機関車を動かす、というようなことです。

「力ってのは筋トレして身につけるだけじゃなくて地球にうまってるもんなんじゃん!」てことに気づいたわけです。人間には力不足で到底不可能だったことを、科学の力で解決することができるようになりました。

適切な機械さえ発明できれば、世界のどこでも、どんな種類のエネルギーでも、私たちのどんな必要でも満たすために利用できるのだ。たとえば、原子の中には途方もないエネルギーが蓄えられていることに物理学者たちが気づいたとき、彼らはこのエネルギーを放出させて発電に使う方法や潜水艦の動力にする方法、都市を破壊し尽くす方法をただちに考え始めた。

人々はエネルギーの発掘に夢中になりました。

人間が生み出すよりはるかに大きなエネルギーを機械が生み出したので、人々はそれまでやっていた仕事を機械にやらせて別の仕事をするようになりました。

農業の工業化以前は、畑や農場で生産された食物の大半は、農民や家畜を食べさせるために「浪費」された。職人や教師、聖職者、官僚を養うのに回せる割合はほんのわずかだった。したがって、ほぼすべての社会では農民が人口の九割以上を占めていた。だが、農業の工業化以降は、しだいに少ない数の農民で、しだいに多くの事務員や工場労働者を養えるようになった。今日のアメリカ合衆国では、農業で生計を立てている人は人口の二パーセントしかいないが、その二パーセントでアメリカの全人口を養うだけではなく、余剰分を国外に輸出できるほど多くを生産している。

昔はほとんどの人がお百姓さんでしたが、今はみんなサラリーマンをしていますね。

こうした進歩にしたがって、「戦争で相手から奪う」という富の獲得手法が古臭いものになっていきます。

なにせ科学の発展によって人類は自らをあっというまに滅ぼす力を手に入れてしまったし、世界がテクノロジーによってつながることで、戦争に対する反対の声が大きく取り上げられるようになって、戦争がしにくくなってしまいましたから。

二〇世紀になってようやく、非ヨーロッパ文化にも真にグローバルな視点が取り入れられた。これがヨーロッパ諸国の覇権を崩壊させる決定的な要因の一つとなった。たとえば、アルジェリアの独立戦争(一九五四~六二年)で、アルジェリア人ゲリラ兵は、数の上でも技術的・経済的にも圧倒的優位に立っていたフランス軍を打ち破った。アルジェリア人が勝利を収めたのは、反植民地主義の世界的ネットワークに支えられていたからであり、また、世界のマスメディアはもとより、フランス自体の世論を、首尾良く自らの主張の味方につけられたからだ。北ヴェトナムという小さな国がアメリカという巨人を敗北に追い込んだのも、同様の戦略による結果だ。

しかし、いくらたくさんの富を生み出せるようになったとしても、それを買う人がいなければなりません。

そこで生まれたのが「消費主義」でした。

中世のヨーロッパでは、貴族階級の人々は派手に散財して贅沢をしたのに対して、農民たちはわずかのお金も無駄にせず、質素に暮らした。今日、状況は逆転した。豊かな人々は細心の注意を払って資産や投資を管理しているのに対して、裕福ではない人々は本当は必要のない自動車やテレビを買って借金に陥る。  資本主義と消費主義の価値体系は、表裏一体であり、二つの戒律が合わさったものだ。富める者の至高の戒律は、「投資せよ!」であり、それ以外の人々の至高の戒律は「買え!」だ。

「富を再投資して資本を生み出す」という価値観と「もっと良いものを使ってもっと良い暮らしをする」という価値観がかみあって今の社会は回っています。

社会が豊かになるにつれて、様々なサービスが誕生し、多くの体制が整って、人類は昔よりはるかに安全に、便利にくらせるようになりました。

しかし、それにともなって昔ながらの家族の絆や地域のつながりは薄れていきます。

なぜなら、昔は家族が担っていた役割を、今は国や社会が肩代わりするようになったからです。

産業革命以前は、ほとんどの人の日常生活は、古来の三つの枠組み、すなわち、核家族、拡大家族、親密な地域コミュニティ(*)の中で営まれていた。人々はたいてい、家族で営む農場や工房といった家業に就いていた。さもなければ、近隣の人の家業を手伝っていた。また、家族は福祉制度であり、医療制度であり、教育制度であり、建設業界であり、労働組合であり、年金基金であり、保険会社であり、ラジオ・テレビ・新聞であり、銀行であり、警察でさえあった。

そのうち国家や市場は、強大化する自らの力を使って家族やコミュニティの絆を弱めた。国家は警察官を派遣して、家族による復讐を禁止し、それに代えて裁判所による判決を導入した。市場は行商人を送り込んで、地元の積年の伝統を一掃し、たえず変化し続ける商業の方式に置き換えた。だが、それだけでは足りなかった。家族やコミュニティの力を本当の意味で打ち砕くためには、敵方の一部を味方に引き入れる必要があった。  そこで国家と市場は、けっして拒絶できない申し出を人々に持ちかけた。「個人になるのだ」と提唱したのだ。

制度や法律、メディアが人々の暮らしに介入していることを私たちは身近に感じています。

私が特にこのことを感じるのは、働いているときです。会社では人情よりも規律が優位にあります。

けっこう「あ、これけっこう頑張ったんだけど」ってことが「規律に沿っていない」という理由で反故にされることが多いんですよね。

あんまり人間味がないもんだから、今ではみんな飲み会にも行かないし会社以外での付き合いも減ってきました。

でも良く考えれば、欧米ではこれが当たり前なんですよね。なぜなら欧米のほうが「資本主義」「個人主義」という歴史が長いからです。

日本が今のような資本主義になったのは戦後の70年前です。歴史があさい。今ようやく「個人主義がどうのこうの」といわれるようになってきましたが、このままなんの新しい変化もないなら、ますます家族やコミュニティのつながりは減っていく流れになるだろうと思います。

さて、このように人類の歴史は大きく発展してきたわけですが、はたして幸せにはなれたのか?ということが本書の最後に提言されています。

「幸せ」とは専門的な言い方で言うと「主観的厚生」と呼ばれます。わかりやすくいうと「幸せは自分の心が決める みつを」ということです。

資本主義は富を生んだ代償として、つぎつぎと富を増大させないといけない仕組みです。

止まってしまうと死んでしまうマグロのように、増えるスピードが減るとそれは「信用不安」と呼ばれ、最悪「恐慌」となって世界を大混乱に陥れます。

そこで人々はますます科学に産業にのめりこみ、今では遺伝子操作もできるし人間に代わる頭脳も生み出そうとしています。

たとえば、こんな研究。

ハタネズミはマウスに似た、小さなずんぐりした齧歯類で、そのほとんどの種類が乱交型だ。だが、オスとメスが永続的な一夫一婦関係を結ぶ種が一つある。遺伝学者たちは、ハタネズミの一夫一婦制の原因となる遺伝子を単離したと主張している。遺伝子を一つ加えただけで、ハタネズミのドン・ファンを誠実で愛情深い夫に変えられるのなら、齧歯類動物(と人類)の個々の能力だけでなく、社会構造も遺伝子工学で改変できる日は、遠くないのではないだろうか。

異性にだらしない人でも遺伝子操作でまっとうな夫婦生活ができる!?性格を変えることもできるというのです。

どんなふうにでも変えられるとなると、「人間ってなんぞや」というギモンが湧いてきます。

「シンギュラリティ」という考え方がありますが、これはある点を境にして今までと世界がまるっきり変わってしまうということです。たとえば遺伝子操作でなんでもできるようになれば、今ある問題が問題ではなくなり、人間は人間ではない別の生きものになっちゃうんじゃないの?ということです。

現にすでに人類はその力を手に入れているという話もあり、しかし反対勢力が強くて実現できていないだけだとも言われています。

なによりすでに私たちは、さまざまなコンピュータやスマホ、医療器具、矯正器具によって頭で処理できる限界を超える能力を発揮しており、半分人間らしくない生活をしています。ひゅー。

なんでもできるようになった人間には何が必要でしょうか。それは「目的」とか「意味」「イデオロギー」といった思想的なものだと筆者は述べています。

本の「おわりに」がとても考えさせる内容だったので、ちょっと引用しすぎだけど紹介させていただき、レビューを終わりにしたいと思います。

七万年前、ホモ・サピエンスはまだ、アフリカの片隅で生きていくのに精一杯の、取るに足りない動物だった。ところがその後の年月に、全地球の主となり、生態系を脅かすに至った。今日、ホモ・サピエンスは、神になる寸前で、永遠の若さばかりか、創造と破壊の神聖な能力さえも手に入れかけている。  不幸にも、サピエンスによる地球支配はこれまで、私たちが誇れるようなものをほとんど生み出していない。私たちは環境を征服し、食物の生産量を増やし、都市を築き、帝国を打ち立て、広大な交易ネットワークを作り上げた。だが、世の中の苦しみの量を減らしただろうか? 人間の力は再三にわたって大幅に増したが、個々のサピエンスの幸福は必ずしも増進しなかったし、他の動物たちにはたいてい甚大な災禍を招いた。  過去数十年間、私たちは飢饉や疫病、戦争を減らし、人間の境遇に関しては、ようやく多少なりとも真の進歩を遂げた。とはいえ、他の動物たちの境遇はかつてないほどの速さで悪化の一途をたどっているし、人類の境遇の改善はあまりに最近の薄弱な現象であり、けっして確実なものではない。  そのうえ、人間には数々の驚くべきことができるものの、私たちは自分の目的が不確かなままで、相変わらず不満に見える。カヌーからガレー船、蒸気船、スペースシャトルへと進歩してきたが、どこへ向かっているのかは誰にもわからない。私たちはかつてなかったほど強力だが、それほどの力を何に使えばいいかは、ほとんど見当もつかない。人類は今までになく無責任になっているようだから、なおさら良くない。物理の法則しか連れ合いがなく、自ら神にのし上がった私たちが責任を取らなければならない相手はいない。その結果、私たちは仲間の動物たちや周囲の生態系を悲惨な目に遭わせ、自分自身の快適さや楽しみ以外はほとんど追い求めないが、それでもけっして満足できずにいる。  自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか。

お金の歴史と役割と正体

昔、人は何かが欲しい時は別のものと交換することが当たり前でした。

リンゴ名人「よし、今年もリンゴが豊作だ。食べきれないからおすそ分けしよう。やあ靴名人さん、うちのリンゴをあげます。」

靴名人「わあ、ありがとう。リンゴ名人さん、靴がすり減っているようですね。お礼に直してあげます。」

もらったらお返しする、そういう「良心」みたいなものに基づいた「物々交換」が経済の始まりですね。

貨幣ができたワケ

基本的に楽しい物々交換ですが、これは限られた製品の交換には適していますが、複雑な取引には向いてませんでした。

リンゴ名人「よし、今年もリンゴが豊作だ。食べきれないからおすそ分けしよう。やあ靴名人さん、うちのリンゴをあげます。」

靴名人「わあ、ありがとう。でも、このまえ別の方から靴磨きのお礼にってたくさんの物をもらって置く場所がないんだ。倉庫があればいいんだけどね。リンゴ名人さん、靴がすり減っているようですね。直してあげます。」

リンゴ名人「いやいや、ただで直していただくのは申し訳ない。えーと、そうだ。倉庫名人さん、リンゴをあげますから靴名人さんに倉庫を貸してあげてください。」

倉庫名人「なんだ!リンゴは昨日たくさん食べたからお腹いっぱいだ!それより私はきのう妻と喧嘩してしまってね。相談に乗ってくれないかね。」

リンゴ名人「いやいや、私は独身だから相談相手には不向きですよ。誰かいないかな。…あ、靴が破けた。」

リンゴ名人はついに靴を直せませんでした。

恩恵と義務の経済は 、見ず知らずの人が大勢協力しようとするときにはうまくいかない 。兄弟姉妹や隣人をただで助けるのと 、恩恵に報いることがないかもしれない外国人の面倒を見るのとでは 、まったく話が違う 。物々交換に頼ることは可能だ 。だが物々交換は 、限られた製品を交換するときにだけ効果的で 、複雑な経済の基盤を成しえない。

物々交換はとても効率が悪く、欲しいものが手に入らないことが多くありました。

そこで誕生したのが貨幣です。

今は硬貨と紙幣を使っていますが、昔は貝や牛 、皮 、塩 、穀物 、珠 、布などが使われていました。

リンゴ名人「よし、今年もリンゴが豊作だ。リンゴはいらんかね。」

お客さん「リンゴください。支払いは大麦で。」

リンゴ名人「毎度あり。そうだ、靴がすり減ってたんだ。靴名人さん、靴を直してください。支払いは大麦で。」

靴名人「はいわかったよ。そうだ、最近物がいっぱいだから倉庫を借りよう。倉庫名人さん、倉庫を貸してください。お代は大麦で支払うよ。」

このようにしてみんなが欲しいものを手に入れることができるようになりました。

物質的には価値がない「硬貨と紙幣」の誕生

しかし、大麦にも欠点がありました。

それは賞味期限があることと、害虫がつくことでした。

せっかく蓄えた財産が、腐ってしまったり食べられてしまったりする。

この「食べられる」ということは、それだけ「みんなが価値があると認めている」ということの証拠です。だからこそ大麦が貨幣として成り立っていたのですが、「ずっとは保存できない」という点はなんとか解決したい問題でした。

そこで人は、「硬貨と紙幣」というものを貨幣として使うようになります。

硬貨や紙幣には物質的な価値はありません。

硬貨に主に使われる金や銀は、柔らかすぎて農具や工具としては使えないものでした。また、紙幣は元はただの紙です。

こうした「実質的には価値のないもの」を貨幣として成り立たせているのは「信頼」でした。

リンゴ名人「靴名人さん、この金のコインを価値のあるものってことにしたいと思うんだけれど、どうだろう。」

靴名人「うん、そうしよう。ねえ、倉庫名人さん。」

倉庫名人「なんだ!そんなことなら別にいいぞ!」

こうしてみんなが「信頼している」というだけで価値を持つ貨幣が誕生しました。

貨幣の正体は「信頼」

貨幣は物質的現実ではなく 、心理的概念なのだ 。貨幣は物質を心に転換することで機能する 。だが 、なぜうまくいくのか ?なぜ肥沃な田んぼを役立たずのタカラガイの貝殻一つかみと喜んで交換する人がいるのか ?骨折りに対して 、色付きの紙を数枚もらえるだけなのに 、なぜ進んでファストフ ード店でハンバ ーガ ーを焼いたり 、医療保険のセ ールスをしたり 、三人の生意気な子供たちのお守りをしたりするのか ?人々が進んでそういうことをするのは 、自分たちの集合的想像の産物を 、彼らが信頼しているときだ 。信頼こそ 、あらゆる種類の貨幣を生み出す際の原材料にほかならない 。

こうした「信頼」は、徐々に広がっていき、貨幣経済が世界を覆うようになります。

たとえば昔、金はヨーロッパでは価値がありましたが、インドでは価値あるものと思われていませんでした。しかしインドにはたくさんの金がありました。

ヨーロッパ名人「インドすげー!金がいっぱいあるじゃん。これ、うちの国に持って帰っていい?お礼に欧風カレーあげるからさ。」

インド名人「うん、こんなものでいいならあげるよ。(すごい喜びようだな、ヨーロッパ人はこのキラキラした金属が好きなのか。待てよ。じゃあうちの国で金を掘ってヨーロッパに運べばたくさんの欧風カレーがもらえるんじゃない?)」

このように考えたインド人たちは、金を手に入れることに価値を感じるようになりました。ヨーロッパ人が欲しがるからです。こうしてインドでも金の価値が上がるようになっていきました。

誰もがいつも貨幣を欲しがるのは 、他の誰もがやはりいつも貨幣を欲しがるからで 、そのおかげで人は貨幣を出せば欲しいものや必要なものを何でも手に入れられる 。

言葉も考え方も違う人たちが貨幣の価値は認めているのは、貨幣が持つ「他の人が信頼しているものを信頼させるようにする」力によります。

貨幣は人類の寛容性の極みでもある 。貨幣は言語や国家の法律 、文化の規準 、宗教的信仰 、社会習慣よりも心が広い 。貨幣は人間が生み出した信頼制度のうち 、ほぼどんな文化の間の溝をも埋め 、宗教や性別 、人種 、年齢 、性的指向に基づいて差別することのない唯一のものだ 。貨幣のおかげで 、見ず知らずで信頼し合っていない人どうしでも 、効果的に協力できる 。

今では硬貨や紙幣といったものも使わずに、データだけのやり取りで多くの取引がなされています。

しかし、便利な貨幣にも邪悪な面がありました。

それは、無機質な貨幣が、ときに人間らしい面を失わせることです。

「お金で買えないものこそ大事だ」、という話をよく聞きますが、現にお金で人が売り買いされていたり、金銭上の都合で伝統が壊されたり、お金を得るのに忙しくて人間関係がおろそかになるという問題が起きています。

あらゆるものが転換可能で 、信頼が個性のない硬貨やタカラガイの貝殻に依存しているときには 、各地の伝統や親密な関係 、人間の価値が損なわれ 、需要と供給の冷酷な法則がそれに取って代わるのだ 。

貨幣には 、さらに邪悪な面がある 。貨幣は見ず知らずの人どうしの間に普遍的な信頼を築くが 、その信頼は 、人間やコミュニティや神聖な価値ではなく 、貨幣自体や貨幣を支える非人間的な制度に注ぎ込まれたのだ 。

貨幣は寛容すぎるため、あらゆるものを結びつけてしまいます。そのことで親密な人間関係というデリケートなものが壊されてしまうことがあるんですね。

ですから、バランスが大事だといいます。外界には触れていけないクローズドで親密な面と、外に向かうべき普遍性のバランスです。

〈参照〉

日米首脳会談中の記者会見をわかりやすさ重視でまとめました

トランプさんが大統領に就任してから初めての日米首脳会談が終わりました。

結果は100点満点中100点と専門家に言わしめるほどで、内外に日米の結びつきの強さをアピールする会談となりました。

どのくらい結びつきが強くなったかというと…

ネコミミとキラキラは一般の方が後から付けたものですが、2人の笑顔が仲の良さを物語っています。

会談の1日目に安倍首相が行なった記者会見の内容をまとめてみたいと思います。わかりやすさ重視です。


半年間で4回もアメリカに来ちゃいました。

いつも温かく迎えてくれてありがとう。

私の名前は「安倍」だけどアメリカでは「エイブ」って呼ばれることがあって、悪い気はしないよ。

なぜってあの偉大な大統領(エイブラハム・リンカーン。愛称は「エイブ」)を知らない人はいないもの。

農民大工のリンカーンが大統領になった。アメリカは民主主義のチャンピオンさ。

トランプ大統領は政治の経験はないけど、頑張って大統領になった。だからアメリカは民主主義のチャンピオンなのさ。

アメリカはチャンスにあふれた国です。だからこそ日本の会社もたくさんアメリカに来ています。

日本の新幹線って、とっても快適なんですよね(アメリカに新幹線作るって話も2人でしちゃったんだよねー)。リニアだったらニューヨークとワシントンを1時間で結べちゃうんですよ(リニアを作ってあげるって話もしたもんねー)。

さらに、アジア太平洋で自由な貿易をすることも日米にとって大きなチャンスです(TPPはダメになったけど他の方法について話しましたよ)。

もちろん、それはフェアな形でやらなきゃいけません。(中国政府のような)国家資本の後ろ盾を持った経済の介入があってはいけません。(中国の海賊版のような)知的財産へのタダ乗りはダメです。

日米同盟を強めていく約束をしました。

(中国が自分のものだと主張している)尖閣諸島で何かあった場合、アメリカ軍が日本を助けるということも確認しました。

普天間基地を辺野古へ移すことも、協力してやっていくことになりました(以前トランプ大統領が「米軍基地のお金を日本が払え」っていってたことについては、今回はまったく話題にならなかったよ。そういう野暮ったい話はまったくしなかった)。

北朝鮮やテロなどの武力や威嚇に対する反対の気持ちを改めて確認しました。

とうぜん、意見の違いはあります。

だからこそ、対話をすべきです。

私はトランプ大統領と対話をしながら、理解を深め、解決に向けて努力していきます。

さて、この後ランチを食べたらトランプ大統領の別荘に行く予定です。めっちゃ楽しみ。

ゴルフもするつもりです。腕はトランプ大統領にかなわないだろうけど、私のポリシーはNever up, Never in(思い切ってやれ、というゴルフの格言)。

常に狙って行きますよー!


ゴルフではさらに仲良くなったようです。

両首脳はトランプ氏の知人で南ア出身のプロゴルファー、アーニー・エルス氏と地元のプロゴルファーの計4人で最初の18ホールを楽しんだ。

 その後、両首脳は「トランプ・インターナショナル・ゴルフクラブ・パームビーチ」に移動。二人っきりで9ホールを回った。

その日の夕食時、北朝鮮が日本海にミサイルを発射したニュースが世界を駆け巡ります。

それまで賑やかな雰囲気に包まれていた食事会場に緊張が走りますが、怪我の功名よろしく、この出来事をきっかけに両国の結びつきがさらに強くなる結果となりました。

トランプ大統領は11日夜、みずからの別荘で安倍総理大臣と夕食をともにしていましたが、北朝鮮の弾道ミサイル発射を受けて、急きょ別荘で安倍総理大臣とともに共同で声明を発表し、「アメリカは偉大な同盟国である日本と100%ともにある」と述べました。

参考:日米共同記者会見 | 首相官邸

北方領土返還要求全国大会での安倍首相の話と、過去を清算することの意味

安倍首相は「北方領土を日本に返して欲しい」と思っている人たちの集まりに参加しました。

北方領土は、むかし日本のものでしたが、第二次世界大戦の終わりにロシアが占領して以来、ロシアが実質的に主導権を握っています。

以下は挨拶の要旨です。


会の開催にあたって、一言だけあいさつしますね。

「北方領土を返して欲しい」という運動に参加している人たちに、敬意とともに感謝します。

戦争が終わってから71年も経ってるけど、日本とロシアとはまだ平和条約が結ばれていないヤバい状態です。

なんとかしなきゃと思って、去年の12月にプーチン大統領と話をしました。

話をする前に、北方領土に住んでいた人の話を直接聞きました。「お墓の近くまでしか行けない」という話もしていましたね。

みなさんの平均年齢は81歳を超えてます。「もう時間がない」という思いが胸に刺さりました。

プーチン大統領とは食事も含めて5時間話しました。95分間はサシで話をしました。

みなさんの気持ちを伝えましたよ。プーチン大統領はみなさんが書いた手紙を読んで、感動したと言ってました。

それで、みなさんがふるさとに自由に行き来できるように対応しようってことになりました。

70年間1ミリも動かなかった問題を解決するには、過去にとらわれないで、前を向かなければなりません。

それで、北方領土で共同で経済活動をする『特別な制度』を作ることになりました。

今日の午後から早速実現に向けて動きます。

プーチン大統領は、「経済活動だけじゃなくて平和条約を結ばなきゃね」とも言いました。

私とプーチン大統領が、ずっと残されてきた問題を終わらせてやるぜ!という気持ちを共有したんです。

70年続いた問題を解決することは簡単じゃないけど、一歩一歩前に進んでいく決意です。


北方領土問題ってそこまでムキになるものかなあ?と思いますが、戦争で日本が降伏した後にロシアが攻めてきて占領してしまったってとこがすごく気持ち悪いんですよね。

まるでボクシングでKOされた後に殴り続けられたようなもので、なかなか忘れられる出来事ではありません。

個人同士のケンカでも、「お前、あの時ああ言ったよな。」と過去を掘り返して余計にこじれることがありますが、それと同じで、日本とロシアは過去を引きずっているんですね。

安倍首相が今回「過去にとらわれないで、前を向こう」といったのはそういった意味もあったのだと思います。

参考:北方領土返還要求全国大会 | 首相官邸

贅沢の罠と強制力。便利になるほど忙しくなるという矛盾は、一万年前の農業革命ですでに起こっていた

読みつづけています、この本を。

人類の歴史を超駆け足でなぞっていく本書。今日は「農業革命」のくだりを読みました。

学校で習った通り、人類の祖先はもともと狩猟をして暮らしていましたが、約一万年前くらい前に農業をはじめるんですね。

私たちは「人類が進化して頭が良くなったから、植物を育てられる知恵を得たんだ。」と思いますが、どうやら違ったようです。

以下は「諸説あり」ですが教訓としても面白い話です。

人類は野山を駆け回る生活をしながら、すでに自然の摂理を学んでいたといいます。

そして農耕生活をすることによって、狩猟をしていた時より労働時間は長く、生産性は低くなりました。

農業革命は 、安楽に暮らせる新しい時代の到来を告げるにはほど遠く 、農耕民は狩猟採集民よりも一般に困難で 、満足度の低い生活を余儀なくされた 。狩猟採集民は 、もっと刺激的で多様な時間を送り 、飢えや病気の危険が小さかった 。

たしかに、農園ゲームをやるよりモンハンやったほうがスリルがあるし強い武具も手に入りますよね。

…。

さて、なぜ人は狩猟より農業を選んだのでしょうか。

古代の骨格を調べると 、農耕への移行のせいで 、椎間板ヘルニアや関節炎 、ヘルニアといった 、じつに多くの疾患がもたらされたことがわかる 。

涙ぐましいですね。

人間はなにもはじめから農業革命がしたかったわけではないようで、ただ「少し裕福な暮らしがしたいな。」と思って植物を育てたのが最初だそうです。

狩猟生活は獲物を追って転々としていく生活です。

そのため、赤ん坊がいることはリスクになりました。そこで、女性は子どもが成長するまで次の子どもを産まなかったといいます。

それが農業ができるようになると、子どもの心配がぐっと減ります。

「やった!すごい発見だ!もっと植物を育てれば子だくさんだ。」

しかし、これが罠になります。

放浪の生活様式を放棄したおかげで 、女性は毎年子供を産めるようになった 。赤ん坊は幼くして離乳させられた 。お粥で育てることができたからだ 。畑では 、少しでも多くの働き手が必要とされた 。だが 、食べさせてやらなければならない人が増えたので 、余剰の食物はたちまち消えてなくなり 、さらに多くの畑で栽培を行なわなければならなかった 。人々が病気の蔓延する定住地で暮らし始め 、子供が母乳よりも穀類を摂取する量が増え 、どの子供もしだいに数を増す兄弟姉妹と競い合ってお粥を手に入れようとするうちに 、子供の死亡率が急上昇した 。ほとんどの農耕社会では 、少なくとも三人に一人の子供が二〇歳になる前に命を落とした 。

やることが少なくなると思ったのに、逆に仕事が増えてしまいました。

農業は個人にとってはあまり利益になるものではありませんでしたが、集団にとっては「人口を増やせる」という大きな利益になりました。

これはちょうど、「個人の給料は上がらないのに会社の利益だけは増えていく」ことと同じだといいます。

昔の人は、いつのまにかこのループから抜け出せなくなっていき、人は狩猟を捨てて農耕生活をせざるを得なくなっていったといいます。

この流れは現代でも同じです。

苦難は今日も起こる 。どれだけ多くの若い大学卒業生が 、がむしゃらに働いてお金を稼ぎ 、三五歳になったら退職して本当にやりたいことをやるのだと誓い 、忙しい会社できつい仕事に就くことだろう 。ところが 、三五歳になったころには 、多額のロ ーンを抱え 、子供たちを学校にやらねばならず 、郊外の暮らしには一世帯に少なくとも二台の自動車が必要で 、本当に良いワインと国外での高価なバカンス抜きでは人生は送り甲斐がないという感覚につきまとわれている 。彼らはいったいどうしたらいいのか ?植物の根を掘り返す生活に戻るのか ?とんでもない 。彼らはなおさら一生懸命取り組み 、あくせく働くのだ 。

少し感覚が違うところあるけど、日本も似たようなものですね。

昔、遠くの人とやりとりするのは手紙でした。

気がすむまで文章を熟考する時間がありました。

今は遠くの人ともすぐに連絡が取れるようになりましたが、それによってむしろ忙しくなっています。

気がつけばLINEの未読がたまっており、半日放っておくと怒りの通知が来ます。

こうした忙しさに疲れ、のんびりした生活を望む向きも多くなりました。

昔も、農耕生活を拒否して狩猟生活を維持しようとした人々もいたといいます。

しかし、その願いを叶えることはとても難しいことでした。

農耕を行なうと急速な人口増加の条件が整うので 、農耕民はたいてい 、狩猟採集民を純粋に数の力で圧倒できた 。狩猟採集民は逃げ去り 、縄張りが畑や牧草地に変わるのを許すか 、あるいは自らも鋤を手に取るかのどちらかだった 。いずれにしても 、昔ながらの生活は消える運命にあった 。

日本での似たような歴史といえば、江戸時代に鎖国をしたことでしょうか。余計なものが入って来ないように国を閉ざしたけど、結局外圧がきっかけで開国しました。

そう考えると、今のイギリスやアメリカも自国に引っ込もうとしていますが、いずれ開かれる流れになりそうですね。何百年後かもしれないけど。

歴史がそうなっているものだとすると、私たちにできることは「強制イベントとして起こる忙しさを、いかに有意義なもののために行なうか。」の理由づけだけなのかもしれません。

贅沢の罠の物語には 、重要な教訓がある 。より楽な生活を求める人類の探求は 、途方もない変化の力を解き放ち 、その力が 、誰も想像したり望んだりしていなかった形で世界を変えた 。農業革命を企てた人もいなければ 、穀類の栽培に人類が依存することを求めた人もいなかった 。数人の腹を満たし 、少しばかりの安心を得ることを主眼とする些細な一連の決定が累積効果を発揮し 、古代の狩猟採集民は焼けつくような日差しの下で桶に水を入れて運んで日々を過ごす羽目になったのだ 。

ネット限定でニュースの収集に使えるサイトやアプリを挙げてみる

世はまさに大情報時代。

知っているか知らないかが運命を分けると言っても過言ではありません。

ネットの情報しばりで、情報の集め方を今知っている限り列挙してみました。

NHKニュース

http://www3.nhk.or.jp/news/

テレビで15〜30分かけてやっている主要ニュースを1分で斜め読みできるコスパ最強のサービスです。

ジャーナリストの池上彰さんもオススメしてます。

その他、以下ネットのニュースサイトで代表的なものをいくつか。

日経電子版

http://mw.nikkei.com/sp/#!/

朝日新聞デジタル

http://www.asahi.com/sp/

スポーツナビ

スマートニュース

海外ニュースを得るなら以下がすごいよ。

CNN(アメリカ)

http://www.cnn.co.jp/m/

人民網(中国)

http://j.people.com.cn/mobile/

朝鮮日報(韓国)

http://www.chosunonline.com/m/

ネナラ(北朝鮮)

http://www.naenara.com.kp/ja/

parsToday(イラン)

http://parstoday.com/ja

はてなブックマーク

ソーシャルブックマークという、「みんながどんな記事をお気に入りにしたか」を見ることができるサービスです。

話題のトピックや炎上した記事、キラッと光る匿名のブログ記事など、ニュースでは拾いきれない記事がシェアされています。

少し尖ったオピニオン記事が多いので女性は苦手かも。

検索

Google先生が代表的ですが、最近はイマイチとの声もあります。

なぜなら、みんなGoogleに良い評価を得るためのサイト作りに夢中であんまり読者のことを考えてないからです。

だから最近は、利用者の生の声が聞けるInstagram先生やTwitter先生で調べる人が増えています。

feedly

気に入ったサイトを登録しておくと、そのサイトが新しい記事を更新した時にお知らせしてくれるサービスです。

こういったサービスをRSSといいます。いろいろなところが扱っていますがfeedlyがダントツで使いやすいです。

検索して「これ書いてる人いいな」と思ったサイトをどんどん追加していくのが一般的な使い方です。サイトを移動する手間なく記事を一気に読むことができます。

カメリオ

feedlyは好きなサイトそのものを登録するサービスですが、カメリオは好きなテーマに沿った情報を集めて教えてくれるサービスです。

たとえば「健康」を登録した場合、ネット上から健康に関する更新情報を探して持ってきてくれます。

KindleUnlimited

https://www.amazon.co.jp/kindle-dbs

月額980円で電子書籍が読み放題の、アマゾンのサービス。
本1冊読めば元が取れる値段と豊富な品揃えで出版業界に激震を起こしました。

ネットで広く浅く情報を仕入れ、気になるトピックは書籍で深掘りすると良いとのこと。

これ以上書くとネットしばりでなくなってしまうので今日はここまで。

おわりに

ネットでは誰でも発言ができるため、情報は玉石混交です。

流れてくる情報に時間を奪われてしまわないように。

人類の歴史は戦いの歴史。人類が霊長類最強になるまでの経緯に考えさせられる

イケハヤさんがブログで紹介していた本を読んでみたのですが、めっちゃ面白い。

「人間ってなんで霊長類最強なんだろう。」という主題から話が進んでいく本です。

このようにいうと「霊長類最強は吉田沙保里だよ。」というツッコミがあるかもしれません。

確かにそうなんですが、今回は個人の強さについてではなく、もう少しだけスケールの大きい話です。

今回読んだのはこちら。

あ、間違えた。こちらです。↓

アマゾンの「歴史」カテゴリで一位になってます。

では本文紹介です。

人が他の動物と比べて優っているのは「脳」です。

太古の昔、他の動物が「より強い歯」や「より大きな翼」を獲得していったのに対して、人類は脳を発達させていきました。

なぜ脳を発達させるようになったのかは定かではありません。

なぜなら、当時はメリットよりデメリットの方が圧倒的に多かったからです。頭が良かったからといってすぐに動物との戦いに勝てたわけではありません。長い間、人間は大きな脳を持っていながらも動物に怯えながら過ごしていました。

脳のデメリットは、とてもデリケートだから頭蓋骨というヘルメットで守られなければならないことと、とても重いことです。

重いから四足歩行では支えきれず、二足歩行にしなければなりませんでした。

二足歩行になると、筋肉が弱くなり、骨盤が小さくなります。

そうすると産道が小さくなりますから、子どもは未発達の状態で産まなければならなくなりました。しかも子どもの頭は大きいという。

これほどの大きな代償を払いながら、人間がはじめに得た知恵は「石器を作る技術」でした。

石器は使えるようになったけれども、たかが石器で狼やライオンと戦えたわけではありません。

石器は主に「骨髄を取り出すため」に使われていたと言います。

一〇〇万年前に生きていた人類は 、脳が大きく 、鋭く尖った石器を使っていたにもかかわらず 、たえず捕食者を恐れて暮らし 、大きな獲物を狩ることは稀で 、主に植物を集め 、昆虫を捕まえ 、小さな動物を追い求め 、他のもっと強力な肉食獣が後に残した死肉を食らっていた 。初期の石器のごく一般的な用途の一つは 、骨を割って中の骨髄をすすれるようにすることだった 。

ライオンが獲物を仕留めてそれを食べるのを人間は遠くから眺めていました。

そして食べ終わってあっちにいった後、出て行くのかと思いきやまだ待ちます。

ハイエナやハゲタカが残飯をあさりにくるからです。

彼らが満腹になってどこかに立ち去った後、ようやく人間たちは出てきて骨から骨髄を削り出して食料にしていました。

なんか惨めですね。

こんな圧倒的弱者だった人類に転機が訪れたのは、火を使うことができるようになってからです。

火を使う動物はいません。人間は自在に火を操りながら、それまで脅威だったケモノを追い払い、食べることができなかった植物や肉を調理することができるようになりました。

調理すれば 、嚙むのも消化するのもぐんと楽になった 。チンパンジ ーが一日五時間も生の食べ物を嚙んでいるのに対して 、調理した食物を食べる人間は 、たった一時間あれば十分だった 。調理をするようになったおかげで 、人類は前よりも多くの種類の食物を食べたり 、食事にかける時間を減らしたりでき 、小さな歯と短い腸で事足りるようになった 。

火によって 、人類と他の動物との間に 、最初の重大な隔たりももたらされた 。ほぼすべての動物の力は 、筋肉の強さや歯の大きさ 、翼の幅など 、自らの身体を拠り所にしている 。動物たちは風や水の流れを利用することはあっても 、そうした自然の力を制御することはできないし 、つねに自らの身体的構造の制約を受ける 。(中略)人類は火を手懐けたとき 、従順で潜在的に無限の力が制御できるようになった 。ワシと違い 、人類はいつ 、どこで火を起こすかを選ぶことができ 、また 、火をさまざまな目的で利用することもできた 。そして 、これがいちばん重要なのだが 、火の力は 、人体の形状や構造 、強さによって制限されてはいなかった 。たった一人の女性でも 、火打ち石か火起こし棒があれば 、わずか数時間のうちに森をそっくり焼き払うことが可能だった 。

こうして人類は生物界で確固たる地位を獲得しました。

効率化が進んで、人類はたくさんの子孫を残せるようになり、活動範囲も広くなって、どんどん遠くへ移り住むようになります。

しかし、移り住んだ先で目にしたものは、同じように火を使って繁栄した他の人類でした。

私たちは「ホモ・サピエンス」と呼ばれます。今は人類というとホモ・サピエンスしかいないのですが、大昔はいろんなのがいました。

ネアンデルタール人やホモ ・ソロエンシス、ホモ・デニソワなんていう人たちがいました。

しかし、今、彼らはいません。残っているのはホモ・サピエンスだけで、他は全部滅んでしまいました。

これは長い年月をかけて、人類同士で争った結果だといいます。

身体能力では、ネアンデルタール人の方が優っていました。

一対一ではホモ・サピエンスに勝ち目はありませんでした。

しかし、彼らはホモ・サピエンスに負けました。

なぜなら、ホモ・サピエンスは言語を操る能力に長けていたからです。

サピエンスの成功の秘密は何だったのか ?私たちはどうやって 、これほど多くの 、遠くて生態学的に異なる生息環境に 、これほど速く移り住むことができたのか ?私たちはどうやって他の人類種をすべて忘却の彼方へ追いやったのか ?なぜ 、強靭で 、大きな脳を持ち 、寒さに強いネアンデルタ ール人たちでさえ 、私たちの猛攻撃を生き延びられなかったのか ?激しい議論は今なお尽きないが 、最も有力な答えは 、その議論を可能にしているものにほかならない 。すなわち 、ホモ ・サピエンスが世界を征服できたのは 、何よりも 、その比類なき言語のおかげではなかろうか 。

ここまでが第1章です。こっから「言葉のどのような機能がホモ・サピエンスに勝利をもたらしたのか」という話に入っていきます。

人類の歴史は闘争の歴史ですね。

人類は「ただ強い」というだけで「最強」の座を得られたわけではないというところが興味深いです。

今もいろんな戦いをしている人類ですが、どうしたら「勝てるのか」。そのヒントが書かれているような気がします。

客観的な事実だけが真実ではない時代に突入。「ポスト真実」とは。

ご存知ですか?「ポスト真実」という言葉。

私は先日初めて知りました。

オックスフォード英語辞書が毎年発表している「世界の今年の言葉」というのがあるのですが、2016年の言葉は「ポスト真実」でした。

「ポスト真実」が今年の言葉 英オックスフォード辞書 | BBCニュース

日本の流行語大賞「神ってる」が意味不明すぎたために世界の流行語をまったく知りませんでしたが、この「ポスト真実」という言葉は今の世の中を象徴した言葉なんだそうですよ。

ポスト真実とは

「ポスト」は「先」という意味なので「ポスト真実」は「真実の先」という意味です。

普通、真実というと一個しかないものだと私たちは思います。そして科学的に証明できるものであると思いますね。

しかし、最近は「客観的な事実がどうかより自分がどう感じてるかの方が大事やろ!」という流れが強くなってきているのです。

ジャーナリストの森田浩之は「事実がもはや重要ではなく、『どうでもよくなった』状況」を意味しており、「真実は死んだ。事実なんて時代遅れ。重要なのは個々の感情であり、自分が世の中をどう思うかだ」というようなニュアンスの言葉だろうと述べている。

この流れを象徴した出来事が「イギリスのEU離脱決定」と「トランプ政権の誕生」でした。

冷静に考えれば、イギリスはEUに残った方がお得だったし、トランプ氏が当選したらとんでもないことになることがわかっていました。

しかし、イギリスやアメリカの多くの人たちは客観的な判断より自分たちの感情を優先させたんですね。

イギリス「EUとか理想論語ってんじゃねーよ、そういうのもううんざりなんだよ!好きにやらせろや!」

アメリカ「世界の面倒ばっか見て超大国気取りなんてやってらんねー!俺たちは俺たちらしく生きていくんだっ!」

ロックですねー。生き方がロックです。

こういう流れがあちこちで起きているので、「今までの『真実』の先を行く考え方」ということで「ポスト真実」と名付けられました。

ポスト真実はかつて通った道

これは新しい考え方のようにも思えますが、昔は当たり前だった考え方でもあります。

科学が大手を振るうようになったのはここ数十年のことです。その前は「客観的判断に基づいた真実」なんて誰も気にしなかったんですよね。みんな自分が感じた通りのことを真実だと思っていました。

たとえば、昔は太陽の周りを地球が回っていたのではなくて、地球の周りを太陽が回っていたんですよ。

だってそう見えるから。

昔の人「どうみたって太陽が東から昇って西に沈んでるじゃん。ガリレオってバカじゃねーの。」

こうした、客観的事実を考えずに自分がどう感じているかが大事にされていたし、世界を治めていました。

それが、科学の台頭によって封殺されました。

科学「客観的な証拠があってこそ真実。理性的な判断ができないなんて猿のすることだ。」

こうした考え方が今まで続いてきたんですね。

しかし、最近は科学の限界というものが見え隠れしています。いくら科学が発展しても人々は幸せになりませんでした。むしろ息苦しく生きづらい。

1950年代には、家電が普及すれば主婦は家事から解放されると思っていたんですよ。

しかし、それが実現した今どうなっているかといえば、家事から解放されるどころか共働きが当たり前になっている。これはどういうこっちゃねん。

ということで、今また回り回って感情論に立ちもどろうとしています。

まるで季節が巡るように、歴史も巡っています。回る回るよ時代は回る。

しかし、過去とまったく同じようになるわけではありません。去年の春と今年の春がまったく同じではありません。これからどうなるかはまだわかりませんが、今までの科学技術の発展を活かしながら、人間らしさの探求へと進んでいく、というのが元哲学をやっていた者としては願うところではあります。

今はテクノロジーの発展によって世界が身近になりました。自分の考えが当たり前ではないということを毎日見聞きしますね。

たとえば、私たちが「テロリズム」と呼んでいる行為は、している側からすると「聖戦」です。

日本は「アメリカと協力してテロを撲滅する」という態度を取っていますが、過激派から見た日本は「アメリカの力に屈した弱者。」です。ジャイアンに逆らえないスネ夫といったところです。

このように、同じものを取っても真実が違うのが今の世界情勢なのですね。答えがいくつもあります。科学的には答えが出ない問題に私たちはぶつかっています。

これはまるで、漫画ワンピースで海軍が正しいのか海賊が正しいのかというようなことです。

連邦軍とジオン軍のどちらが正義なのかということです。

これまでの科学の発展で、そのできることと限界が見えてきました。

そして科学の発展によって開かれた世界が、新たな問題を私たちに突きつけてきました。

今までの真実からさらに進んだ答えを出そうとしている動きが始まった。それが「ポスト真実」の意味なのだと思います。

安倍首相の2017年の施政方針をまとめてみた

ついに始まりました。

「第百九十三回国会」が。

世界ではブンデスリーガとか全豪オープンとかトランプ大統領就任とか面白いイベントがたくさんやってますが、日本でも「国会」をやってるじゃないか。

国会開幕に当たって安倍首相が「今年、こういうことやりまーす」と話していたことがあるのでまとめてみました。

「目標をリストにして毎日見ると実現する」と言われています。安倍首相はみんなの前で目標を宣誓しました。リストにするとものすごい数がありますが、一年が終わった時にどれだけ実現しているでしょうか。

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