アイデアは組み合わせで生まれる。組み合わせで有用なアイデアにもなるし、無用なアイデアにもなる

「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」

アイデアが組み合わせによって生まれることを、広告代理店で働いていた「ジェームズヤング」は発見し、本にしました。

以来、アイデアが欲しい多くの人がこの本を読んでいます。

組み合わせでできるものは、アイデアだけにとどまらず、多くのものは、何かと何かの組み合わせでできたものです。

いつも飲んでいる水さえ、水素と酸素が組み合わさったものです。

その水で野菜を洗って、煮込んでカレールウと組み合わせたらカレーができます。

そのカレーを食べると、一度分解されて体の組織と組み合わさることで、私たちの体の一部ができています。

そんなこんなで大人になった男女が組み合わされば、家庭ができます。

組み合わせれば何かはできるけど

組み合わせで別のものができるのだということを、私たちは学校で学びました。

組み合わせれば、何かはできます。しかしそれが大きな価値を持つものであることもあるし、思ったようなものができないこともあります。

そして一度組み合わさったものは、なかなか分解することができません。

水が欲しいのに、酸素が水素と組み合わさらなくて酸素ばかりで組み合わさったら、オゾンができて、飲めません。

カレーを作りたかったのに間違えてデミグラスソースを入れてしまったら、それを食べるしかありません。

そのハヤシライスを食べて、体に取り込まれなかったものは、適当に組み合わされて無用のものとなり、外に排出されます。

まずい組み合わせでもやり方次第で相性が合うこともある

今朝、起きてすぐ、ぼんやりした頭になぜか浮かんできたのは「ごはんにしょうゆをかける映像」でした。

組み合わせが悪く、あまり食べる気がしませんでした。

しかし、ご飯をおむすびにして、焼き色をつけたら、むしろしょうゆが欲しくなりました。

または、ご飯を酢飯にして、小さく握り、その上に生魚の切り身を乗せたら、やっぱりしょうゆが欲しくなりました。

ご飯としょうゆだけでは組み合わせが悪かったものが、もう一つ何かを加えることで相性が良くなることがあるんだと、そんなことを思いました。

そしてこれは、人間関係にも当てはまりそうだと考えたところで、会社に行く時間になりましたとさ。

トランプ大統領はこんなことを考えて政治をするよ、ということがわかる演説の中身。

2/28にトランプ大統領が初めて施政方針演説を行いました。

いつもの暴言を連発するトランプ節は鳴りを潜め、大統領らしい演説だっとの評判で、トランプ大統領に批判的なメディアであるCNNが行なった世論調査でも「視聴者の7割が『展望は明るい』と答えた」と言います。

トランプ氏の施政方針演説、視聴者の7割が「展望明るい」 | CNN

先日は日本の施政方針演説をまとめましたが、今日は日本の同盟国アメリカの方針も見てみたいと思います。

http://shinyaowari.com/prime-minister-abe-speech ‎

トランプ大統領はこの日、演説会場にいつもと違う格好で現れます。

それはストライプのネクタイをしていたことでした。

いつもは「真っ赤」や「真っ青」な“パワー・ネクタイ”を付けているトランプ大統領です。力を誇示するネクタイですね。

しかし、この日は“わざと”実業家らしさを演出したと言われています。

ネクタイから読み解くトランプ演説 | Market Hack

パワー・タイは(俺様はパワフルなんだぜ!)ということを世間に対して誇示するときにつけるものです。だから大統領選挙の討論会などの場ではパワー・タイは必須です。

しかし今回のトランプ大統領のファッションは「実業家風」でした。

これは暗にトランプが(これから腕まくりして難作業に取り組みます)という決意をシグナルしているのであって、それは謙虚で、へりくだった姿勢と言い直すことも出来ます。

事実、昨日のトランプのスピーチからは、普段の傲慢さが消え、ソフトで、耳触りの良い言葉が聞かれました。

出典:Market Hack

演説の内容も実業家らしい内容でした。

演説の内容を一言でまとめると「アメリカを立て直す」ということです。

実業家として「アメリカは今どういうことで損をしていて、どうしたらもっと利益が得られるか」といったことをメインに話していましたところが印象的でした。

以下はポイントだけまとめたものです。


アメリカの精神を復活させる。

あまりにも長い間、雇用や富が海外に流出してきた。アメリカに自由に外国人が行き来するのを放置したため、薬物がたくさん流入している。アメリカ国民を第一に考えなければならない。

カナダと連携して女性起業家を支援する。

すべてのアメリカ国民に成功してほしい。しかしこれは、混乱した環境では実現しない。そのため、メキシコから移民が勝手に入ってこないように国教に壁を作る。

2001年の同時多発テロの加害者はほとんどがアメリカ国外からやってきた人。入国を無制御に許可することは思いやりではなく、無謀。アメリカに入国できるのはアメリカを愛する人でなければならない。入国審査の改善に取り組み、危害を与える可能性のある人物を追い出す。

ISを地球から一掃する。

オバマ政権では外交政策が失敗して借金が大幅に増えた。アメリカ経済のエンジンを再稼働させなければならない。減税をしてアメリカで事業をしやすくする。

貿易は公正でなければならない。アメリカの企業と労働者がつけこまれることは許さない。

能力の低い移民を受け入れる今の制度から、能力に応じた移民を受け入れる制度に変える。

これまでに中東に6兆ドル費やしてきたが、このお金があればアメリカを2回再建できたはず。再建のために1兆ドル使って数百万人を雇用する。

オバマケア(「みんな保険に入りなさい」という制度)でアメリカの保険料が2桁か3桁増えたから撤廃する。

恵まれない子どもたちが自分に合った教育手段を自由に選べるようになるべき。

貧困の連鎖を断ち切らなければならない。そのためには暴力の連鎖を断ち切らなければならない。そのためには、警察と(対立する事件が多発したけど)協力しなければならない。

メディアや特定の団体に押し殺されてきた人たちが声を上げられるよう、犯罪被害者を支援するオフィスを作る

アメリカを守るために国防費を増やす。

直接的で、強固な同盟関係を結ぶ。同時に公平な負担を要求する。

この演説を見ている皆さんに、自分を信じ、未来を信じ、そしてもう一度、アメリカを信じるようお願いします。


まとめると、今までのお金の使い方と人の移動に対する批判と、弱者を助けるというメッセージが強い演説でした。

一国の大統領というより、会社の社長のようなことを言っていますね。

日本は移民を受け入れないから実感がわきませんが、例えるなら、アメリカは誰でも入社できるようにして風紀が乱れた会社のようだとトランプ大統領は言っているわけです。

だから、これからは人を選びます。試験をしてふるいにかけますということですね。

こう言われると、今まで「移民を受け入れないことは人種差別だ」という意見が強かったものの、移民を規制をするという主張にも一理あるように見えてきます。

「アメリカを立て直す」それはただ良いことばかりを言って大盤振る舞いをする政治ではなくて、会社を経営するように実体的に、堅実に運営していくということだというんですね。

そういった決意が、スピーチからも、ネクタイからも伝わって来る内容でした。

〈参考〉トランプ大統領 初の議会演説 要旨 | NHK NEWS WEB

『サピエンス全史 下』を超ざっくりまとめ。現代の常識がどうやってできたのかの経緯とその影響と未来について

やっと読み終わりました。

すごいボリュームでした。私たちが当たり前に思っていることが過去どのような経緯を経てできて、私たちの生活にどういう影響力を与えているのかをおおざっぱに把握することができました。

このブログでは、そのうちの「火」「言葉」「農業」「お金」についてとりあげてきました。

http://shinyaowari.com/homo-sapiens-history

http://shinyaowari.com/agriculture-revolution-luxury

http://shinyaowari.com/currency-identity

今回「科学」「産業」「資本主義」「国家」「個人」などについてざーっと取り上げてレビューを終わりにしたいと思います。

西暦1500年くらいまでは、上に挙げたものは存在しませんでした。

だから、人々が「贅沢をしたい」と思ったときは「他国を侵略する」という方法が取られていたんですね。私も以前はよく「戦争モノ」のゲームをやっては「侵略たのしー!」と思っていました。

当時の人々は、「自分たちが価値を生み出す」という考えを持っていなかったからこんなことを大真面目にしていたんです。「戦争は聖なるものだ」と昔の武将や騎士たちは考えていたそうですよ。

ところが、科学の力を手に入れてから、贅沢は奪うものではなく作ることができるものになりました。

解決不可能のはずの問題を科学が一つまた一つと解決し始めると、人類は新しい知識を獲得して応用することで、どんな問題もすべて克服できると、多くの人が確信を持ちだした。貧困や病気、戦争、飢饉、老齢、死そのものさえもが、人類の避けようのない運命ではなくなった。それらはみな、私たちの無知の産物にすぎないのだった。  有名な例が雷だ。多くの文化では、稲妻は罪人を罰するために使われる、怒れる神の鉄槌だと信じられていた。

科学の発展は、大きな富を人類にもたらしました。

「自分で富を作り出せる」という自信は、「資本主義」という考え方を生み出しました。

これはスーパーざっくり言うと「稼いだものを再投資すればもっと稼げる。」という考え方です。昔はそうじゃありませんでした。

近代以前には、人々は生産とはおおむね一定しているものだと信じていた。だから、何をしようと生産が大幅に増えることがないのなら、なぜ自分の得た利益を再投資する必要があるのか、と考えた。こうして、中世の貴族は気前の良さと派手な消費を旨とする倫理観を支持した。彼らは収入を馬上試合、晩餐会、大邸宅、戦争、そして慈善事業や壮大な大聖堂に費やした。

そこに科学革命が起こり、進歩という考え方が登場した。進歩という考え方は、もし私たちが己の無知を認めて研究に投資すれば、物事が改善しうるという見解の上に成り立っている。この考え方は、まもなく経済にも取り入れられた。進歩を信じる人々は誰もが、地理上の発見やテクノロジー上の発明、組織面での発展によって人類の生産や交易、富の総量を増やすことができると確信している。

科学は産業革命も起こします。産業革命は人々に大きな力を与えました。

たとえば、蒸気が鍋のふたを持ち上げる力を利用して機関車を動かす、というようなことです。

「力ってのは筋トレして身につけるだけじゃなくて地球にうまってるもんなんじゃん!」てことに気づいたわけです。人間には力不足で到底不可能だったことを、科学の力で解決することができるようになりました。

適切な機械さえ発明できれば、世界のどこでも、どんな種類のエネルギーでも、私たちのどんな必要でも満たすために利用できるのだ。たとえば、原子の中には途方もないエネルギーが蓄えられていることに物理学者たちが気づいたとき、彼らはこのエネルギーを放出させて発電に使う方法や潜水艦の動力にする方法、都市を破壊し尽くす方法をただちに考え始めた。

人々はエネルギーの発掘に夢中になりました。

人間が生み出すよりはるかに大きなエネルギーを機械が生み出したので、人々はそれまでやっていた仕事を機械にやらせて別の仕事をするようになりました。

農業の工業化以前は、畑や農場で生産された食物の大半は、農民や家畜を食べさせるために「浪費」された。職人や教師、聖職者、官僚を養うのに回せる割合はほんのわずかだった。したがって、ほぼすべての社会では農民が人口の九割以上を占めていた。だが、農業の工業化以降は、しだいに少ない数の農民で、しだいに多くの事務員や工場労働者を養えるようになった。今日のアメリカ合衆国では、農業で生計を立てている人は人口の二パーセントしかいないが、その二パーセントでアメリカの全人口を養うだけではなく、余剰分を国外に輸出できるほど多くを生産している。

昔はほとんどの人がお百姓さんでしたが、今はみんなサラリーマンをしていますね。

こうした進歩にしたがって、「戦争で相手から奪う」という富の獲得手法が古臭いものになっていきます。

なにせ科学の発展によって人類は自らをあっというまに滅ぼす力を手に入れてしまったし、世界がテクノロジーによってつながることで、戦争に対する反対の声が大きく取り上げられるようになって、戦争がしにくくなってしまいましたから。

二〇世紀になってようやく、非ヨーロッパ文化にも真にグローバルな視点が取り入れられた。これがヨーロッパ諸国の覇権を崩壊させる決定的な要因の一つとなった。たとえば、アルジェリアの独立戦争(一九五四~六二年)で、アルジェリア人ゲリラ兵は、数の上でも技術的・経済的にも圧倒的優位に立っていたフランス軍を打ち破った。アルジェリア人が勝利を収めたのは、反植民地主義の世界的ネットワークに支えられていたからであり、また、世界のマスメディアはもとより、フランス自体の世論を、首尾良く自らの主張の味方につけられたからだ。北ヴェトナムという小さな国がアメリカという巨人を敗北に追い込んだのも、同様の戦略による結果だ。

しかし、いくらたくさんの富を生み出せるようになったとしても、それを買う人がいなければなりません。

そこで生まれたのが「消費主義」でした。

中世のヨーロッパでは、貴族階級の人々は派手に散財して贅沢をしたのに対して、農民たちはわずかのお金も無駄にせず、質素に暮らした。今日、状況は逆転した。豊かな人々は細心の注意を払って資産や投資を管理しているのに対して、裕福ではない人々は本当は必要のない自動車やテレビを買って借金に陥る。  資本主義と消費主義の価値体系は、表裏一体であり、二つの戒律が合わさったものだ。富める者の至高の戒律は、「投資せよ!」であり、それ以外の人々の至高の戒律は「買え!」だ。

「富を再投資して資本を生み出す」という価値観と「もっと良いものを使ってもっと良い暮らしをする」という価値観がかみあって今の社会は回っています。

社会が豊かになるにつれて、様々なサービスが誕生し、多くの体制が整って、人類は昔よりはるかに安全に、便利にくらせるようになりました。

しかし、それにともなって昔ながらの家族の絆や地域のつながりは薄れていきます。

なぜなら、昔は家族が担っていた役割を、今は国や社会が肩代わりするようになったからです。

産業革命以前は、ほとんどの人の日常生活は、古来の三つの枠組み、すなわち、核家族、拡大家族、親密な地域コミュニティ(*)の中で営まれていた。人々はたいてい、家族で営む農場や工房といった家業に就いていた。さもなければ、近隣の人の家業を手伝っていた。また、家族は福祉制度であり、医療制度であり、教育制度であり、建設業界であり、労働組合であり、年金基金であり、保険会社であり、ラジオ・テレビ・新聞であり、銀行であり、警察でさえあった。

そのうち国家や市場は、強大化する自らの力を使って家族やコミュニティの絆を弱めた。国家は警察官を派遣して、家族による復讐を禁止し、それに代えて裁判所による判決を導入した。市場は行商人を送り込んで、地元の積年の伝統を一掃し、たえず変化し続ける商業の方式に置き換えた。だが、それだけでは足りなかった。家族やコミュニティの力を本当の意味で打ち砕くためには、敵方の一部を味方に引き入れる必要があった。  そこで国家と市場は、けっして拒絶できない申し出を人々に持ちかけた。「個人になるのだ」と提唱したのだ。

制度や法律、メディアが人々の暮らしに介入していることを私たちは身近に感じています。

私が特にこのことを感じるのは、働いているときです。会社では人情よりも規律が優位にあります。

けっこう「あ、これけっこう頑張ったんだけど」ってことが「規律に沿っていない」という理由で反故にされることが多いんですよね。

あんまり人間味がないもんだから、今ではみんな飲み会にも行かないし会社以外での付き合いも減ってきました。

でも良く考えれば、欧米ではこれが当たり前なんですよね。なぜなら欧米のほうが「資本主義」「個人主義」という歴史が長いからです。

日本が今のような資本主義になったのは戦後の70年前です。歴史があさい。今ようやく「個人主義がどうのこうの」といわれるようになってきましたが、このままなんの新しい変化もないなら、ますます家族やコミュニティのつながりは減っていく流れになるだろうと思います。

さて、このように人類の歴史は大きく発展してきたわけですが、はたして幸せにはなれたのか?ということが本書の最後に提言されています。

「幸せ」とは専門的な言い方で言うと「主観的厚生」と呼ばれます。わかりやすくいうと「幸せは自分の心が決める みつを」ということです。

資本主義は富を生んだ代償として、つぎつぎと富を増大させないといけない仕組みです。

止まってしまうと死んでしまうマグロのように、増えるスピードが減るとそれは「信用不安」と呼ばれ、最悪「恐慌」となって世界を大混乱に陥れます。

そこで人々はますます科学に産業にのめりこみ、今では遺伝子操作もできるし人間に代わる頭脳も生み出そうとしています。

たとえば、こんな研究。

ハタネズミはマウスに似た、小さなずんぐりした齧歯類で、そのほとんどの種類が乱交型だ。だが、オスとメスが永続的な一夫一婦関係を結ぶ種が一つある。遺伝学者たちは、ハタネズミの一夫一婦制の原因となる遺伝子を単離したと主張している。遺伝子を一つ加えただけで、ハタネズミのドン・ファンを誠実で愛情深い夫に変えられるのなら、齧歯類動物(と人類)の個々の能力だけでなく、社会構造も遺伝子工学で改変できる日は、遠くないのではないだろうか。

異性にだらしない人でも遺伝子操作でまっとうな夫婦生活ができる!?性格を変えることもできるというのです。

どんなふうにでも変えられるとなると、「人間ってなんぞや」というギモンが湧いてきます。

「シンギュラリティ」という考え方がありますが、これはある点を境にして今までと世界がまるっきり変わってしまうということです。たとえば遺伝子操作でなんでもできるようになれば、今ある問題が問題ではなくなり、人間は人間ではない別の生きものになっちゃうんじゃないの?ということです。

現にすでに人類はその力を手に入れているという話もあり、しかし反対勢力が強くて実現できていないだけだとも言われています。

なによりすでに私たちは、さまざまなコンピュータやスマホ、医療器具、矯正器具によって頭で処理できる限界を超える能力を発揮しており、半分人間らしくない生活をしています。ひゅー。

なんでもできるようになった人間には何が必要でしょうか。それは「目的」とか「意味」「イデオロギー」といった思想的なものだと筆者は述べています。

本の「おわりに」がとても考えさせる内容だったので、ちょっと引用しすぎだけど紹介させていただき、レビューを終わりにしたいと思います。

七万年前、ホモ・サピエンスはまだ、アフリカの片隅で生きていくのに精一杯の、取るに足りない動物だった。ところがその後の年月に、全地球の主となり、生態系を脅かすに至った。今日、ホモ・サピエンスは、神になる寸前で、永遠の若さばかりか、創造と破壊の神聖な能力さえも手に入れかけている。  不幸にも、サピエンスによる地球支配はこれまで、私たちが誇れるようなものをほとんど生み出していない。私たちは環境を征服し、食物の生産量を増やし、都市を築き、帝国を打ち立て、広大な交易ネットワークを作り上げた。だが、世の中の苦しみの量を減らしただろうか? 人間の力は再三にわたって大幅に増したが、個々のサピエンスの幸福は必ずしも増進しなかったし、他の動物たちにはたいてい甚大な災禍を招いた。  過去数十年間、私たちは飢饉や疫病、戦争を減らし、人間の境遇に関しては、ようやく多少なりとも真の進歩を遂げた。とはいえ、他の動物たちの境遇はかつてないほどの速さで悪化の一途をたどっているし、人類の境遇の改善はあまりに最近の薄弱な現象であり、けっして確実なものではない。  そのうえ、人間には数々の驚くべきことができるものの、私たちは自分の目的が不確かなままで、相変わらず不満に見える。カヌーからガレー船、蒸気船、スペースシャトルへと進歩してきたが、どこへ向かっているのかは誰にもわからない。私たちはかつてなかったほど強力だが、それほどの力を何に使えばいいかは、ほとんど見当もつかない。人類は今までになく無責任になっているようだから、なおさら良くない。物理の法則しか連れ合いがなく、自ら神にのし上がった私たちが責任を取らなければならない相手はいない。その結果、私たちは仲間の動物たちや周囲の生態系を悲惨な目に遭わせ、自分自身の快適さや楽しみ以外はほとんど追い求めないが、それでもけっして満足できずにいる。  自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか。

『日本人3.0』レビュー。30代ロスジェネによる本当の逆襲はこれから始まる、という本です

はあちゅうさん、いけはやさんが勧めていた本を読んでみました。

一言でまとめると「30代へのエール」です。

私も30代ですが、この世代がこれからの日本でどういう役割を演じていくのだろうかということを、過去の歴史の同時性から、また今の日本の現状から、そして30代という人生のステージの特徴から、読み取っていきます。

著者はNEWSPICKS編集長をされている方で時事にめっぽう強く、今の時代とこれからくる時代についていろんな角度から予想を組み立てています。

未来の予想なんて当たるものではないのですが、いろいろな可能性を考えておかないと対処のしようがないものでもあるので、将来の方向性を定めるのにも参考になりますね。

とにかく、30代でくすぶっている人にはオススメです。もうちょっと頑張ったらいいことあるんじゃないかという気になります。自分が立っている位置がわかり、近い未来に自分とその周りの環境がどうなっていくのかが少し見える気がして自信がつきますね。

アマゾンのレビューを見ると「レトリック(言い回し)が鼻に付いて最後まで読めなかった。」というものが多くありました。

たぶんこの本は一気に書き下ろされたのではないでしょうか、本の前半部分では、あまり使わない方が良いとされる体言止めが頻発していて確かに読みづらいです。これは書きはじめはなかなか文体が安定しない「物書きあるある」ではないかと。

また本の中ほどはどの本でも弱いと言われていますので、そこは拾い読みするくらいでちょうど良いと思います。注目は前半の内容ですね。核を掴めれば学べることがたくさんあります。

ここで30代についてお話しさせてもらうと、我々30代はロスジェネ世代と呼ばれています。

バブルのような華やかな経験もないし、ゆとりのような楽もして来ませんでした。

私が学生のころから教育改革の必要性は叫ばれいたものの、学生のうちには改革は実行されず。しかも社会に出ようにも就職氷河期でなかなか職は見つからない。そんな世代です。

インターネットが登場したのはロスジェネ世代が思春期になるくらいのころで、バーチャルという新しい文化に触れる一方で、会社では団塊世代が中心にいましたから昔ながらの文化にも通じています。

そんな私たちの特徴は「キャパが広い」ということでしょうか。

たとえば私は、映画なら小津安二郎も好きですし新海誠も好きです。

カラオケに行けば1960年代の懐メロも歌うし最新曲も歌えます。世代としては「ミスチル」や「安室」あたりなんですが、いろんな世代と触れる機会が多くて覚えちゃうんですよね。

だから、若い子に「どんな映画が面白いですか?」と聞かれて「黒澤明。」と答えるとたいてい「ああ、あの白黒の(笑)」と言われんですがブチ切れそうになります(笑)

また、おじさんが最近の流行についていこうとしないのを見てももったいないと思いますね。今はテクノロジーの発達で新しいコンテンツがどんどん生まれているので、ポケモンGOだけではなく、ぜひ地下アイドルとかにも理解を示していただけたらと思います。

そして、私たちの世代はキャパは広いのですがいまいちパッとしない人が多いのも特徴かもしれません。

団塊世代とバブル世代が会社の中心におり、ゆとりやさとりは自由すぎるしで、「えええ!俺らなんなの?」ということを感じるわけです。

私の周りを見ても優秀なのに今ひとつ突き抜けない人がたくさんいます。ほんと頭いいのに使われてない人が多いですね。

だからこそ『ロスジェネの逆襲』という小説がベストセラーになり、「倍返し」が流行ったのだと思います。

あの作品は、突き抜けられないロスジェネ世代のうっぷんをうまく昇華しているんですよね。

『逃げるは恥だが役に立つ』の人気が爆発したのも、いろいろこじらせちゃったロスジェネ世代に共感されたことが大きいと思います。

しかあし、そんなふうにくすぶっているのも2020年までだ。

なぜなら、過去の歴史の繰り返しを見ても、今の日本を見ても、30代というライフステージの特徴を見ても、30代がこれから活躍することが自明の理だからだ。

というのが本書の主張です。

「この歳になってもなんもできてねー!人生このまま終わるんかな。」って焦ってる私のようなロスジェネ世代には特にオススメですよ。

お金の歴史と役割と正体

昔、人は何かが欲しい時は別のものと交換することが当たり前でした。

リンゴ名人「よし、今年もリンゴが豊作だ。食べきれないからおすそ分けしよう。やあ靴名人さん、うちのリンゴをあげます。」

靴名人「わあ、ありがとう。リンゴ名人さん、靴がすり減っているようですね。お礼に直してあげます。」

もらったらお返しする、そういう「良心」みたいなものに基づいた「物々交換」が経済の始まりですね。

貨幣ができたワケ

基本的に楽しい物々交換ですが、これは限られた製品の交換には適していますが、複雑な取引には向いてませんでした。

リンゴ名人「よし、今年もリンゴが豊作だ。食べきれないからおすそ分けしよう。やあ靴名人さん、うちのリンゴをあげます。」

靴名人「わあ、ありがとう。でも、このまえ別の方から靴磨きのお礼にってたくさんの物をもらって置く場所がないんだ。倉庫があればいいんだけどね。リンゴ名人さん、靴がすり減っているようですね。直してあげます。」

リンゴ名人「いやいや、ただで直していただくのは申し訳ない。えーと、そうだ。倉庫名人さん、リンゴをあげますから靴名人さんに倉庫を貸してあげてください。」

倉庫名人「なんだ!リンゴは昨日たくさん食べたからお腹いっぱいだ!それより私はきのう妻と喧嘩してしまってね。相談に乗ってくれないかね。」

リンゴ名人「いやいや、私は独身だから相談相手には不向きですよ。誰かいないかな。…あ、靴が破けた。」

リンゴ名人はついに靴を直せませんでした。

恩恵と義務の経済は 、見ず知らずの人が大勢協力しようとするときにはうまくいかない 。兄弟姉妹や隣人をただで助けるのと 、恩恵に報いることがないかもしれない外国人の面倒を見るのとでは 、まったく話が違う 。物々交換に頼ることは可能だ 。だが物々交換は 、限られた製品を交換するときにだけ効果的で 、複雑な経済の基盤を成しえない。

物々交換はとても効率が悪く、欲しいものが手に入らないことが多くありました。

そこで誕生したのが貨幣です。

今は硬貨と紙幣を使っていますが、昔は貝や牛 、皮 、塩 、穀物 、珠 、布などが使われていました。

リンゴ名人「よし、今年もリンゴが豊作だ。リンゴはいらんかね。」

お客さん「リンゴください。支払いは大麦で。」

リンゴ名人「毎度あり。そうだ、靴がすり減ってたんだ。靴名人さん、靴を直してください。支払いは大麦で。」

靴名人「はいわかったよ。そうだ、最近物がいっぱいだから倉庫を借りよう。倉庫名人さん、倉庫を貸してください。お代は大麦で支払うよ。」

このようにしてみんなが欲しいものを手に入れることができるようになりました。

物質的には価値がない「硬貨と紙幣」の誕生

しかし、大麦にも欠点がありました。

それは賞味期限があることと、害虫がつくことでした。

せっかく蓄えた財産が、腐ってしまったり食べられてしまったりする。

この「食べられる」ということは、それだけ「みんなが価値があると認めている」ということの証拠です。だからこそ大麦が貨幣として成り立っていたのですが、「ずっとは保存できない」という点はなんとか解決したい問題でした。

そこで人は、「硬貨と紙幣」というものを貨幣として使うようになります。

硬貨や紙幣には物質的な価値はありません。

硬貨に主に使われる金や銀は、柔らかすぎて農具や工具としては使えないものでした。また、紙幣は元はただの紙です。

こうした「実質的には価値のないもの」を貨幣として成り立たせているのは「信頼」でした。

リンゴ名人「靴名人さん、この金のコインを価値のあるものってことにしたいと思うんだけれど、どうだろう。」

靴名人「うん、そうしよう。ねえ、倉庫名人さん。」

倉庫名人「なんだ!そんなことなら別にいいぞ!」

こうしてみんなが「信頼している」というだけで価値を持つ貨幣が誕生しました。

貨幣の正体は「信頼」

貨幣は物質的現実ではなく 、心理的概念なのだ 。貨幣は物質を心に転換することで機能する 。だが 、なぜうまくいくのか ?なぜ肥沃な田んぼを役立たずのタカラガイの貝殻一つかみと喜んで交換する人がいるのか ?骨折りに対して 、色付きの紙を数枚もらえるだけなのに 、なぜ進んでファストフ ード店でハンバ ーガ ーを焼いたり 、医療保険のセ ールスをしたり 、三人の生意気な子供たちのお守りをしたりするのか ?人々が進んでそういうことをするのは 、自分たちの集合的想像の産物を 、彼らが信頼しているときだ 。信頼こそ 、あらゆる種類の貨幣を生み出す際の原材料にほかならない 。

こうした「信頼」は、徐々に広がっていき、貨幣経済が世界を覆うようになります。

たとえば昔、金はヨーロッパでは価値がありましたが、インドでは価値あるものと思われていませんでした。しかしインドにはたくさんの金がありました。

ヨーロッパ名人「インドすげー!金がいっぱいあるじゃん。これ、うちの国に持って帰っていい?お礼に欧風カレーあげるからさ。」

インド名人「うん、こんなものでいいならあげるよ。(すごい喜びようだな、ヨーロッパ人はこのキラキラした金属が好きなのか。待てよ。じゃあうちの国で金を掘ってヨーロッパに運べばたくさんの欧風カレーがもらえるんじゃない?)」

このように考えたインド人たちは、金を手に入れることに価値を感じるようになりました。ヨーロッパ人が欲しがるからです。こうしてインドでも金の価値が上がるようになっていきました。

誰もがいつも貨幣を欲しがるのは 、他の誰もがやはりいつも貨幣を欲しがるからで 、そのおかげで人は貨幣を出せば欲しいものや必要なものを何でも手に入れられる 。

言葉も考え方も違う人たちが貨幣の価値は認めているのは、貨幣が持つ「他の人が信頼しているものを信頼させるようにする」力によります。

貨幣は人類の寛容性の極みでもある 。貨幣は言語や国家の法律 、文化の規準 、宗教的信仰 、社会習慣よりも心が広い 。貨幣は人間が生み出した信頼制度のうち 、ほぼどんな文化の間の溝をも埋め 、宗教や性別 、人種 、年齢 、性的指向に基づいて差別することのない唯一のものだ 。貨幣のおかげで 、見ず知らずで信頼し合っていない人どうしでも 、効果的に協力できる 。

今では硬貨や紙幣といったものも使わずに、データだけのやり取りで多くの取引がなされています。

しかし、便利な貨幣にも邪悪な面がありました。

それは、無機質な貨幣が、ときに人間らしい面を失わせることです。

「お金で買えないものこそ大事だ」、という話をよく聞きますが、現にお金で人が売り買いされていたり、金銭上の都合で伝統が壊されたり、お金を得るのに忙しくて人間関係がおろそかになるという問題が起きています。

あらゆるものが転換可能で 、信頼が個性のない硬貨やタカラガイの貝殻に依存しているときには 、各地の伝統や親密な関係 、人間の価値が損なわれ 、需要と供給の冷酷な法則がそれに取って代わるのだ 。

貨幣には 、さらに邪悪な面がある 。貨幣は見ず知らずの人どうしの間に普遍的な信頼を築くが 、その信頼は 、人間やコミュニティや神聖な価値ではなく 、貨幣自体や貨幣を支える非人間的な制度に注ぎ込まれたのだ 。

貨幣は寛容すぎるため、あらゆるものを結びつけてしまいます。そのことで親密な人間関係というデリケートなものが壊されてしまうことがあるんですね。

ですから、バランスが大事だといいます。外界には触れていけないクローズドで親密な面と、外に向かうべき普遍性のバランスです。

〈参照〉

日米首脳会談中の記者会見をわかりやすさ重視でまとめました

トランプさんが大統領に就任してから初めての日米首脳会談が終わりました。

結果は100点満点中100点と専門家に言わしめるほどで、内外に日米の結びつきの強さをアピールする会談となりました。

どのくらい結びつきが強くなったかというと…

ネコミミとキラキラは一般の方が後から付けたものですが、2人の笑顔が仲の良さを物語っています。

会談の1日目に安倍首相が行なった記者会見の内容をまとめてみたいと思います。わかりやすさ重視です。


半年間で4回もアメリカに来ちゃいました。

いつも温かく迎えてくれてありがとう。

私の名前は「安倍」だけどアメリカでは「エイブ」って呼ばれることがあって、悪い気はしないよ。

なぜってあの偉大な大統領(エイブラハム・リンカーン。愛称は「エイブ」)を知らない人はいないもの。

農民大工のリンカーンが大統領になった。アメリカは民主主義のチャンピオンさ。

トランプ大統領は政治の経験はないけど、頑張って大統領になった。だからアメリカは民主主義のチャンピオンなのさ。

アメリカはチャンスにあふれた国です。だからこそ日本の会社もたくさんアメリカに来ています。

日本の新幹線って、とっても快適なんですよね(アメリカに新幹線作るって話も2人でしちゃったんだよねー)。リニアだったらニューヨークとワシントンを1時間で結べちゃうんですよ(リニアを作ってあげるって話もしたもんねー)。

さらに、アジア太平洋で自由な貿易をすることも日米にとって大きなチャンスです(TPPはダメになったけど他の方法について話しましたよ)。

もちろん、それはフェアな形でやらなきゃいけません。(中国政府のような)国家資本の後ろ盾を持った経済の介入があってはいけません。(中国の海賊版のような)知的財産へのタダ乗りはダメです。

日米同盟を強めていく約束をしました。

(中国が自分のものだと主張している)尖閣諸島で何かあった場合、アメリカ軍が日本を助けるということも確認しました。

普天間基地を辺野古へ移すことも、協力してやっていくことになりました(以前トランプ大統領が「米軍基地のお金を日本が払え」っていってたことについては、今回はまったく話題にならなかったよ。そういう野暮ったい話はまったくしなかった)。

北朝鮮やテロなどの武力や威嚇に対する反対の気持ちを改めて確認しました。

とうぜん、意見の違いはあります。

だからこそ、対話をすべきです。

私はトランプ大統領と対話をしながら、理解を深め、解決に向けて努力していきます。

さて、この後ランチを食べたらトランプ大統領の別荘に行く予定です。めっちゃ楽しみ。

ゴルフもするつもりです。腕はトランプ大統領にかなわないだろうけど、私のポリシーはNever up, Never in(思い切ってやれ、というゴルフの格言)。

常に狙って行きますよー!


ゴルフではさらに仲良くなったようです。

両首脳はトランプ氏の知人で南ア出身のプロゴルファー、アーニー・エルス氏と地元のプロゴルファーの計4人で最初の18ホールを楽しんだ。

 その後、両首脳は「トランプ・インターナショナル・ゴルフクラブ・パームビーチ」に移動。二人っきりで9ホールを回った。

その日の夕食時、北朝鮮が日本海にミサイルを発射したニュースが世界を駆け巡ります。

それまで賑やかな雰囲気に包まれていた食事会場に緊張が走りますが、怪我の功名よろしく、この出来事をきっかけに両国の結びつきがさらに強くなる結果となりました。

トランプ大統領は11日夜、みずからの別荘で安倍総理大臣と夕食をともにしていましたが、北朝鮮の弾道ミサイル発射を受けて、急きょ別荘で安倍総理大臣とともに共同で声明を発表し、「アメリカは偉大な同盟国である日本と100%ともにある」と述べました。

参考:日米共同記者会見 | 首相官邸

何度も言うが卵は悪くない。これ以上卵を避けるヤツはコレステロールが上がるだろう

トランプブームなのでタイトルもトランプ語を使ってみました。

卵が血中コレステロール値をあげるのかどうかについてこれまでいろいろな意見が出ていましたが、最近は「コレステロールは上げない」という意見が浸透してきています。

もともと「コレステロールを上げる」という意見は研究の結果でてきたものですが、その研究はウサギを使ったもので、その結果が人間にも当てはまるのかについてははっきりしていませんでした。

それで卵擁護派が「そんならオレらが人を使った実験で卵が悪くないことを証明してやんよ!」と息巻いて実験をしたところ、卵を食べる量とコレステロール増加量は一致しなかった。

「卵は体に悪い」という考え方が世間で一般的だったころにこの実験結果を公表したのがコネチカット大学で、卵擁護派の旗頭として今も卵たちを風評から守っています。(卵が体にいいとたくさん食べられるから卵にとっては都合が悪いのかもしれませんが。)

そのコネチカット大学が卵否定派に追い打ちをかけるような実験結果を公表しました。

以下は健康な人限定の情報となります。心疾患のある方は慎重になるべきことに変わりはありません。

研究結果の概要は、

・HDLコレステロール(善玉コレステロール)の働きが活発になった。

・LDLコレステロール(悪玉コレステロール)がでっかくなった。

この結果について、コレステロールがデカくなるのは問題のように見えますが、むしろ良いことだそうです。

なぜなら悪さをするのは小さなサイズの悪玉コレステロールだからです。小さいヤツが血管にくっついて血管を詰まらせます。

だからその小さいヤツのサイズが大きくなることで血管にくっつきにくくなるというんですね。

卵はもともと「完全食」という呼び名を冠した健康食品です。

ひよこに必要な栄養源が全部詰まっているのだからもちろんそうです。

その唯一の欠点がコレステロールだったのですが、これで卵が食べやすくなりますね。

参考:1日3個までの卵は脂質代謝に好影響を与える | 医学博士 蒲原聖可ブログ

情報収集のやり方をその道のプロが書いた本から学んでみた

情報収集のコツを知りたくて、その道のプロの考え方を学んだんです。

その道のプロとは、池上彰氏と佐藤優氏です。

結論から申しますと、これ以上情報収集したくなくなる本です。

なぜなら2人の情報収集のやり方が異常すぎてついて行けないからです。

たとえば池上彰さんは毎日11紙の新聞に目を通していたり、佐藤優さんは毎月300冊の本を読んでいるといいます。

ちょっとキモいほんとすごいですよね。そうした2人の対談が本になっているのですが、かなりマニアックです。

本の中で挙げられている新聞、雑誌、書籍の数は200近くあります。

そこまで読めねーよさすがお詳しい方は違うと思いながら、本を読み進めていくうちに「もう俺は本読むのやめようかな」という気持ちが湧いてきます。

「努力するのはやめて、流れに任せて生きた方が楽だ。」そのように思わせる本です。

とひあえずついて行けたところをまとめてみます。

情報収集のポイント

世の中を知るには新聞から、世の中を理解するには書籍からだといいます。

そして、その土台となる知識は教科書・学習参考書から得たら良いよと書いてあります。

(池上)まず新聞で日々のニュースの全体を捉え、ニュースで気になるテーマがあれば、書籍で深掘りしていく。

新聞からの情報収集について

新聞は1紙に絞るのではなくて、同じ出来事でも各紙によって書き方が違うので必ずクロスチェックをするべきだといいます。

(佐藤)「新聞は少なくとも2紙以上読まなければ危険だ」というのが、池上さんと私の、現在の共通意見です。
全国紙レベルでも「新聞=客観報道」の前提が崩れている。

(池上)新聞はここ数年で急激に変わりましたからね。ひと昔前までは、どの新聞を読んでも、ニュース記事に関してはそこまで大差がなく、1紙を読んでいたら大きな流れはつかめたと思うんです。私が大学生のころなんて、「日本の新聞は個性がない。題字が違うだけだ」なんて批判もされたくらいで。(中略)いまはニュースの取り上げ方そのものが新聞ごとに違っていて、そこに意図が感じられるようにもなっています。

各紙がどんなスタンスを持っているのかは「社説」と「コラム欄」で判断できるそうですよ。

(佐藤)はっきり言ってしまうと、以前から『産経新聞』だけは保守色が明確でした。(中略)それが現在、『産経新聞』の路線、つまり保守派に『読売新聞』と『日本経済新聞』が乗って、『朝日新聞』『毎日新聞』「東京新聞』は逆に、現政権反対の立場を明らかにしています。

新聞はじっくりは読みません。「読み飛ばし」が基本です。池上さんは朝は20分しか新聞に目を通さないそうです。

読み方は「見出し」と「リード」に目を通して、気になった記事だけ読む。迷ったら読みません。

(池上 )関心分野なんて、新聞をパッと開いた瞬間、キーワードが目に飛び込んでくるようになりますよ。

いやそれは池上さんだからだろそっかー!俺もやってみる!

雑誌の読み方について

雑誌は視野を広げるのに役に立ちます。

(佐藤)雑誌というのはパラパラ読んでいると、意外な情報に出合ったりするじゃないですか。
(池上)興味のある記事だけをクリックするネット情報と大きく違うところですね。

週刊誌では大まかな世間の雰囲気をつかむことができます。何が話題になっているか、ということの把握に使えるということですね。

ただし、話題になっているというのは言い方を変えれば噂になっているということです。噂というのは人の心のどす黒いところからもよく出てくるものです。

火のないところからも煙が立ちますので、情報の見極めが必要になります。

雑誌も拾い読みが基本です。

ネットの情報の読み方について

ネットの情報は玉石混交です。その中から「玉」だけを選び出すのは難しいといいます。

(池上)ネット情報は「速報性」に優れているし、誰でも情報発信できるのはすばらしい点ですが、それだけに情報の真偽を見極めにくい。
(佐藤)誰もが情報発信できるということは、裏を返すと、新聞や雑誌がもつ「編集」と「校閲」という重要な2つの機能が欠如しているということです。(中略)ひとことで言うと、ネット空間は「ノイズ過多」なんですね。池上 ネットはうまく使えば便利で有益なツールになる反面、時間を浪費したりノイズ情報に惑わされる危険性もある「諸刃の剣」ということですね。

ネットの情報にこうした性質があることはこれからも変わりません。

だからネットで情報を発信する人は、新聞や書籍に対抗して緻密な取材と文才、編集で売るよりは個性で売った方が楽しく続けられます。

あとネットあるあるとして、好きな情報だけ取ってきてしまうということがあります。

(池上)自分の知りたいことや自分の考えを補強する情報が欲しければ、いくらでも見つけ出すことができます。(中略)するとどうなるかというと、関心のあることについてはどんどん詳しくなる一方で、それ以外はまるで知らないまま、どんどん視野が狭くなります。(中略)ネットをよく使う人の中には、「ネットの論調=社会全体の論調」と思い込んでしまう人も少なくありません。

こうなってしまうのは気をつけたいですね。

書籍の読み方について

「話のネタ」レベルの知識をもう一歩深めるには、書籍を使います。

(佐藤)いくら新聞、雑誌、ネットを熱心に読んだところで、土台となる基礎知識が抜けていると、自分の頭でニュースや記事を深く理解することはできません。

本って年に80000冊も発行されてるんです。たくさんあって何を読めばいいのかわからなくなりますが、そんな時には「いろんな本の参考にされている『タネ本』を見つけることが重要だそうです。

(池上)まとめ買いをした本を何冊か読んでいくと、それらの関連書籍の元になっている「タネ本」(基本書)が、わかります。多くは、そのテーマの初期に出版された本です。それがわかったら、そのタネ本はしっかり熟読します。どんなジャンルでもベースになるタネ本はせいぜい3冊以内なので、そこはしっかり読むといいですね。

本も基本は読み飛ばし、速読です。好きな本は熟読します。ただし読み飛ばす本も「はじめに」「おわりに」は目を通すようにします。

教科書、学習参考書の読み方

教科書、学習参考書は思考の型を身につけることができます。

(池上)いくら書籍をたくさん読んでも、その分野の「基礎知識がすっぽり抜け落ちていると、うまく知識が積み上がっていきません。

中学校の教科書が参考になるとのこと。ニュースの基礎知識は「公民」から。そして、

(池上)歴史を勉強するなら、まずは「日本史A」「世界史A」で基本と大まかな流れをおさえたうえで、あとは自分の興味や必要な分野を深く掘り下げていく方法がいちばん効率的でしょうね。

学校で習う知識は基礎なんですね。どうりでつまんねーわけだもう一度、童心に帰って勉強し直そうかな。

私がこの本から理解できたのは以上です。

良いブログというのは愛のあるブログらしい。Google社員のコメントからわかること

ブログに人が訪れる入り口は三つあります。

1.ブログを書いている人の友人知人が直接訪れる
2.検索してくる
3.SNSで繋がった人が来る

これはブログだけではなく、すべてのネットのコンテンツに当てはまることです。

そして、どういった経由で人が来るにしても、それを読んだ人が「面白い」か「役に立つ」と感じてもらえるようなモノを作ることが、コンテンツ制作者には求められています。

読者が「面白い」または「役に立つ」と感じるコンテンツのことを「品質の良いコンテンツ」と業界では呼びます。

ネットが誕生してから、この「品質の良いコンテンツを作ろう」ということがずっと言われてきました。

そしてGoogleは「品質の良いコンテンツを検索上位に表示する」と明言してきました。

SEOの話が出るたびに、Googleはいつも「品質の良いものを作れ」「品質の悪いものは排除する」と言い続けて、悪意のある、またはやる気のないコンテンツを排除するようなアルゴリズム変更を何度も何度も施してきました。

だからGoogleがアルゴリズムの変更を発表するたびに、コンテンツ制作者たちはヒヤヒヤしています。

しかし、みんなGoogle先生の言うことに振り回されながら、頭の片隅ではいつもこんな思いを抱いていました。

(品質の良いコンテンツっていったいなんやねん…。)

Google先生が言うからみんなもそれに続けとばかりに「品質だ!」「クオリティだ!」ということを叫んできましたが、それがいったいなんなのかは実はよくわからないでいました。

つい先日わかったところでは、それは「事実を追求すること」ではないようです。Google MFI Night でGoogleの社員さんはこう言いました。

書かれていることが事実かどうかはチェックしていない。
そういうことを目的としたアルゴリズムではない。

これは私も納得できます。だって事実は考え方によっては一つではないことも多いからね。

ネットのコンテンツの強みはあくまでもファンを作るところにあります。

最近では政治の世界でも「ポスト真実」や「オルタナティブファクト」ということが言われ、事実からではなくて自分の気持ちから論が発展することが増えてきました。トランプ大統領のやり方がまさにそう。とりあえず噛み付いて相手の出方次第で着地点を探っていくんです。あきらかに事実ベースではない。

Googleもその流行を意識してか、「事実かどうかはチェックしていない」と言っちまいました。

では「品質の良いコンテンツ」とはなんなのか。

Googleの社員さんによると、それは「愛のあるコンテンツ」だそうです。

ユーザーを満足させるコンテンツを作ればいい。

そのコンテンツが本当に品質が高いかどうかは自分自身でわかるはず。

いかに”愛”があるコンテンツを作るかが重要。
コンテンツ作りは愛。
愛を持って自分のサービスを作っていってほしい。

愛ですか。ますます抽象的になりましたね。

しかし、ここからわかることは、月並みに言えば「自己満足やGoogleのランキングを気にするのではなくて、読者のことを考えてコンテンツを作ってね。」ということです。

もすこし頭良さそうなことを言うなら、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが、言葉には「ロゴス」と「パトス」と「エートス」が必要だと言いましたが、今まで私たちが絶対だと思っていた「ロゴス(論理)」は思ったほど重要ではなくて、それより「パトス(熱意)」や「エートス(信頼)」の扱い方に気をつけろということでしょうか。

熱意や信頼というのは人を欺くためにも使えるし、人を守るためにも使えます。

だから、それをうまくコントロールするために「愛」というもので舵をとるべき、ということではないかなあと思います。

とまれGoogleからそういった指針が出ていますので、ブロガーはじめコンテンツ製作者は周りのすごい頭いい人に圧倒されずに、熱心に頑張れば良いということですね。

参考:高品質コンテンツに求められるのは”愛”――日本語検索独自の品質評価アルゴリズム更新についてGoogle社員が語った #inhouseseo | 海外SEO情報ブログ

歴史を見てみると「多様性」というのは一過性のブームじゃないかという話

最近になって「多様性」という言葉をよく聞くようになりました。

それぞれの生き方が尊重されるのがとても良い反面、この言葉を使って「だから人の言うことは聞かない」と開き直ることができるのが諸刃の剣である言葉です。

まわりを見てみれば、以前よりいろんな人が増えたと確かに感じます。

でも実際には、人の頭の中にある色々な考えがインターネットをはじめとする技術の進歩で露わになっただけなのかもしれません。

実際、私の子供のころ、まだインターネットがない時代から、学校の先生は「人は心の中では何考えてるかわからないから気をつけろよ。」と言われていました。

考え方がいろいろあることがわかった近年ですが、その流れがこれからも続いてみんなそれぞれの道を行くのかというとそうではありません。

なぜなら、人類は大昔にはまったく交流さえできなかった時代から、だんだんと人が集まり、国ができて、世界共通の観念である貨幣や科学を使うようになる、という大きな目で見ればひとつになる方向で動いてきたからです。

その途中途中でバラバラになる、たとえば仏教やキリスト教が起こった後で様々な宗派に別れたり、イギリスがEUから脱退したりなど、ひとつになろうとする動きからの反動とも取れる動きもあります。

しかし、それは投資でいう上昇相場の中の調整局面で、本当に長いスパンで見れば人類は一つ向かって歴史が進んでいます。

あ、これは私の考えというより本の受け売りの知識なんですけどね。

だから、今「多様性」と思われている現象も、いずれひとつにまとまっていく流れになるのではないかなあという思いがしています。そしてそれはあまり穏やかではない方法による可能性もあります。

たとえば、過去にスペインがアステカ帝国を征服したり、イギリスが世界のあちこちを植民地化したように。

もちろん今は武力を使って侵略することは時代遅れでしょうが、他の方法で人を治めようとする動きはあってもおかしくありませんね。たとえばAIなんかまさにこれから脅威になってくるはずです。遠くに黒船見えてます。

だとしたら、「多様性」を盾にして自由気ままな生活はできませんね。そんなことをしていたら、いつかめちゃくちゃ強い征服者が攻めてくるだろうから。

地球上には異なる人間社会がいくつ存在したのだろう ?紀元前一万年ごろ 、この星には何千もの社会があった 。紀元前二〇〇〇年には 、その数は数百 、多くても数千まで減っていた 。一四五〇年には 、その数はさらに激減していた 。(中略)
その後三〇〇年間に 、アフロ ・ユ ーラシア大陸という巨人は 、他の世界をすべて吞み込んだ 。まず 、スペイン人がアステカ帝国を征服した一五二一年に 、メソアメリカ世界を取り込んだ 。(中略)
アフロ ・ユ ーラシア大陸という巨人が 、吞み込んだものをすべて消化するまでには数世紀かかったが 、この過程は逆転不可能だった 。今日 、人類のほぼ全員が同一の地政学的制度 (地球全体が 、国際的に承認された国家に分割されている )や 、同一の経済制度 (資本主義の市場勢力が 、地球上の最果ての地まで支配下に置いている ) 、同一の法制度 (少なくとも理論上は 、人権と国際法があらゆる場所で有効になっている ) 、同一の科学制度 (イラン 、イスラエル 、オ ーストラリア 、アルゼンチン 、その他どこの専門家であれ 、原子の構造あるいは結核の治療法について 、完全に見解を一にしている )を持っている 。

〈参考〉