北方領土返還要求全国大会での安倍首相の話と、過去を清算することの意味

安倍首相は「北方領土を日本に返して欲しい」と思っている人たちの集まりに参加しました。

北方領土は、むかし日本のものでしたが、第二次世界大戦の終わりにロシアが占領して以来、ロシアが実質的に主導権を握っています。

以下は挨拶の要旨です。


会の開催にあたって、一言だけあいさつしますね。

「北方領土を返して欲しい」という運動に参加している人たちに、敬意とともに感謝します。

戦争が終わってから71年も経ってるけど、日本とロシアとはまだ平和条約が結ばれていないヤバい状態です。

なんとかしなきゃと思って、去年の12月にプーチン大統領と話をしました。

話をする前に、北方領土に住んでいた人の話を直接聞きました。「お墓の近くまでしか行けない」という話もしていましたね。

みなさんの平均年齢は81歳を超えてます。「もう時間がない」という思いが胸に刺さりました。

プーチン大統領とは食事も含めて5時間話しました。95分間はサシで話をしました。

みなさんの気持ちを伝えましたよ。プーチン大統領はみなさんが書いた手紙を読んで、感動したと言ってました。

それで、みなさんがふるさとに自由に行き来できるように対応しようってことになりました。

70年間1ミリも動かなかった問題を解決するには、過去にとらわれないで、前を向かなければなりません。

それで、北方領土で共同で経済活動をする『特別な制度』を作ることになりました。

今日の午後から早速実現に向けて動きます。

プーチン大統領は、「経済活動だけじゃなくて平和条約を結ばなきゃね」とも言いました。

私とプーチン大統領が、ずっと残されてきた問題を終わらせてやるぜ!という気持ちを共有したんです。

70年続いた問題を解決することは簡単じゃないけど、一歩一歩前に進んでいく決意です。


北方領土問題ってそこまでムキになるものかなあ?と思いますが、戦争で日本が降伏した後にロシアが攻めてきて占領してしまったってとこがすごく気持ち悪いんですよね。

まるでボクシングでKOされた後に殴り続けられたようなもので、なかなか忘れられる出来事ではありません。

個人同士のケンカでも、「お前、あの時ああ言ったよな。」と過去を掘り返して余計にこじれることがありますが、それと同じで、日本とロシアは過去を引きずっているんですね。

安倍首相が今回「過去にとらわれないで、前を向こう」といったのはそういった意味もあったのだと思います。

参考:北方領土返還要求全国大会 | 首相官邸

贅沢の罠と強制力。便利になるほど忙しくなるという矛盾は、一万年前の農業革命ですでに起こっていた

読みつづけています、この本を。

人類の歴史を超駆け足でなぞっていく本書。今日は「農業革命」のくだりを読みました。

学校で習った通り、人類の祖先はもともと狩猟をして暮らしていましたが、約一万年前くらい前に農業をはじめるんですね。

私たちは「人類が進化して頭が良くなったから、植物を育てられる知恵を得たんだ。」と思いますが、どうやら違ったようです。

以下は「諸説あり」ですが教訓としても面白い話です。

人類は野山を駆け回る生活をしながら、すでに自然の摂理を学んでいたといいます。

そして農耕生活をすることによって、狩猟をしていた時より労働時間は長く、生産性は低くなりました。

農業革命は 、安楽に暮らせる新しい時代の到来を告げるにはほど遠く 、農耕民は狩猟採集民よりも一般に困難で 、満足度の低い生活を余儀なくされた 。狩猟採集民は 、もっと刺激的で多様な時間を送り 、飢えや病気の危険が小さかった 。

たしかに、農園ゲームをやるよりモンハンやったほうがスリルがあるし強い武具も手に入りますよね。

…。

さて、なぜ人は狩猟より農業を選んだのでしょうか。

古代の骨格を調べると 、農耕への移行のせいで 、椎間板ヘルニアや関節炎 、ヘルニアといった 、じつに多くの疾患がもたらされたことがわかる 。

涙ぐましいですね。

人間はなにもはじめから農業革命がしたかったわけではないようで、ただ「少し裕福な暮らしがしたいな。」と思って植物を育てたのが最初だそうです。

狩猟生活は獲物を追って転々としていく生活です。

そのため、赤ん坊がいることはリスクになりました。そこで、女性は子どもが成長するまで次の子どもを産まなかったといいます。

それが農業ができるようになると、子どもの心配がぐっと減ります。

「やった!すごい発見だ!もっと植物を育てれば子だくさんだ。」

しかし、これが罠になります。

放浪の生活様式を放棄したおかげで 、女性は毎年子供を産めるようになった 。赤ん坊は幼くして離乳させられた 。お粥で育てることができたからだ 。畑では 、少しでも多くの働き手が必要とされた 。だが 、食べさせてやらなければならない人が増えたので 、余剰の食物はたちまち消えてなくなり 、さらに多くの畑で栽培を行なわなければならなかった 。人々が病気の蔓延する定住地で暮らし始め 、子供が母乳よりも穀類を摂取する量が増え 、どの子供もしだいに数を増す兄弟姉妹と競い合ってお粥を手に入れようとするうちに 、子供の死亡率が急上昇した 。ほとんどの農耕社会では 、少なくとも三人に一人の子供が二〇歳になる前に命を落とした 。

やることが少なくなると思ったのに、逆に仕事が増えてしまいました。

農業は個人にとってはあまり利益になるものではありませんでしたが、集団にとっては「人口を増やせる」という大きな利益になりました。

これはちょうど、「個人の給料は上がらないのに会社の利益だけは増えていく」ことと同じだといいます。

昔の人は、いつのまにかこのループから抜け出せなくなっていき、人は狩猟を捨てて農耕生活をせざるを得なくなっていったといいます。

この流れは現代でも同じです。

苦難は今日も起こる 。どれだけ多くの若い大学卒業生が 、がむしゃらに働いてお金を稼ぎ 、三五歳になったら退職して本当にやりたいことをやるのだと誓い 、忙しい会社できつい仕事に就くことだろう 。ところが 、三五歳になったころには 、多額のロ ーンを抱え 、子供たちを学校にやらねばならず 、郊外の暮らしには一世帯に少なくとも二台の自動車が必要で 、本当に良いワインと国外での高価なバカンス抜きでは人生は送り甲斐がないという感覚につきまとわれている 。彼らはいったいどうしたらいいのか ?植物の根を掘り返す生活に戻るのか ?とんでもない 。彼らはなおさら一生懸命取り組み 、あくせく働くのだ 。

少し感覚が違うところあるけど、日本も似たようなものですね。

昔、遠くの人とやりとりするのは手紙でした。

気がすむまで文章を熟考する時間がありました。

今は遠くの人ともすぐに連絡が取れるようになりましたが、それによってむしろ忙しくなっています。

気がつけばLINEの未読がたまっており、半日放っておくと怒りの通知が来ます。

こうした忙しさに疲れ、のんびりした生活を望む向きも多くなりました。

昔も、農耕生活を拒否して狩猟生活を維持しようとした人々もいたといいます。

しかし、その願いを叶えることはとても難しいことでした。

農耕を行なうと急速な人口増加の条件が整うので 、農耕民はたいてい 、狩猟採集民を純粋に数の力で圧倒できた 。狩猟採集民は逃げ去り 、縄張りが畑や牧草地に変わるのを許すか 、あるいは自らも鋤を手に取るかのどちらかだった 。いずれにしても 、昔ながらの生活は消える運命にあった 。

日本での似たような歴史といえば、江戸時代に鎖国をしたことでしょうか。余計なものが入って来ないように国を閉ざしたけど、結局外圧がきっかけで開国しました。

そう考えると、今のイギリスやアメリカも自国に引っ込もうとしていますが、いずれ開かれる流れになりそうですね。何百年後かもしれないけど。

歴史がそうなっているものだとすると、私たちにできることは「強制イベントとして起こる忙しさを、いかに有意義なもののために行なうか。」の理由づけだけなのかもしれません。

贅沢の罠の物語には 、重要な教訓がある 。より楽な生活を求める人類の探求は 、途方もない変化の力を解き放ち 、その力が 、誰も想像したり望んだりしていなかった形で世界を変えた 。農業革命を企てた人もいなければ 、穀類の栽培に人類が依存することを求めた人もいなかった 。数人の腹を満たし 、少しばかりの安心を得ることを主眼とする些細な一連の決定が累積効果を発揮し 、古代の狩猟採集民は焼けつくような日差しの下で桶に水を入れて運んで日々を過ごす羽目になったのだ 。

ネット限定でニュースの収集に使えるサイトやアプリを挙げてみる

世はまさに大情報時代。

知っているか知らないかが運命を分けると言っても過言ではありません。

ネットの情報しばりで、情報の集め方を今知っている限り列挙してみました。

NHKニュース

http://www3.nhk.or.jp/news/

テレビで15〜30分かけてやっている主要ニュースを1分で斜め読みできるコスパ最強のサービスです。

ジャーナリストの池上彰さんもオススメしてます。

その他、以下ネットのニュースサイトで代表的なものをいくつか。

日経電子版

http://mw.nikkei.com/sp/#!/

朝日新聞デジタル

http://www.asahi.com/sp/

スポーツナビ

スマートニュース

海外ニュースを得るなら以下がすごいよ。

CNN(アメリカ)

http://www.cnn.co.jp/m/

人民網(中国)

http://j.people.com.cn/mobile/

朝鮮日報(韓国)

http://www.chosunonline.com/m/

ネナラ(北朝鮮)

http://www.naenara.com.kp/ja/

parsToday(イラン)

http://parstoday.com/ja

はてなブックマーク

ソーシャルブックマークという、「みんながどんな記事をお気に入りにしたか」を見ることができるサービスです。

話題のトピックや炎上した記事、キラッと光る匿名のブログ記事など、ニュースでは拾いきれない記事がシェアされています。

少し尖ったオピニオン記事が多いので女性は苦手かも。

検索

Google先生が代表的ですが、最近はイマイチとの声もあります。

なぜなら、みんなGoogleに良い評価を得るためのサイト作りに夢中であんまり読者のことを考えてないからです。

だから最近は、利用者の生の声が聞けるInstagram先生やTwitter先生で調べる人が増えています。

feedly

気に入ったサイトを登録しておくと、そのサイトが新しい記事を更新した時にお知らせしてくれるサービスです。

こういったサービスをRSSといいます。いろいろなところが扱っていますがfeedlyがダントツで使いやすいです。

検索して「これ書いてる人いいな」と思ったサイトをどんどん追加していくのが一般的な使い方です。サイトを移動する手間なく記事を一気に読むことができます。

カメリオ

feedlyは好きなサイトそのものを登録するサービスですが、カメリオは好きなテーマに沿った情報を集めて教えてくれるサービスです。

たとえば「健康」を登録した場合、ネット上から健康に関する更新情報を探して持ってきてくれます。

KindleUnlimited

https://www.amazon.co.jp/kindle-dbs

月額980円で電子書籍が読み放題の、アマゾンのサービス。
本1冊読めば元が取れる値段と豊富な品揃えで出版業界に激震を起こしました。

ネットで広く浅く情報を仕入れ、気になるトピックは書籍で深掘りすると良いとのこと。

これ以上書くとネットしばりでなくなってしまうので今日はここまで。

おわりに

ネットでは誰でも発言ができるため、情報は玉石混交です。

流れてくる情報に時間を奪われてしまわないように。

人類の歴史は戦いの歴史。人類が霊長類最強になるまでの経緯に考えさせられる

イケハヤさんがブログで紹介していた本を読んでみたのですが、めっちゃ面白い。

「人間ってなんで霊長類最強なんだろう。」という主題から話が進んでいく本です。

このようにいうと「霊長類最強は吉田沙保里だよ。」というツッコミがあるかもしれません。

確かにそうなんですが、今回は個人の強さについてではなく、もう少しだけスケールの大きい話です。

今回読んだのはこちら。

あ、間違えた。こちらです。↓

アマゾンの「歴史」カテゴリで一位になってます。

では本文紹介です。

人が他の動物と比べて優っているのは「脳」です。

太古の昔、他の動物が「より強い歯」や「より大きな翼」を獲得していったのに対して、人類は脳を発達させていきました。

なぜ脳を発達させるようになったのかは定かではありません。

なぜなら、当時はメリットよりデメリットの方が圧倒的に多かったからです。頭が良かったからといってすぐに動物との戦いに勝てたわけではありません。長い間、人間は大きな脳を持っていながらも動物に怯えながら過ごしていました。

脳のデメリットは、とてもデリケートだから頭蓋骨というヘルメットで守られなければならないことと、とても重いことです。

重いから四足歩行では支えきれず、二足歩行にしなければなりませんでした。

二足歩行になると、筋肉が弱くなり、骨盤が小さくなります。

そうすると産道が小さくなりますから、子どもは未発達の状態で産まなければならなくなりました。しかも子どもの頭は大きいという。

これほどの大きな代償を払いながら、人間がはじめに得た知恵は「石器を作る技術」でした。

石器は使えるようになったけれども、たかが石器で狼やライオンと戦えたわけではありません。

石器は主に「骨髄を取り出すため」に使われていたと言います。

一〇〇万年前に生きていた人類は 、脳が大きく 、鋭く尖った石器を使っていたにもかかわらず 、たえず捕食者を恐れて暮らし 、大きな獲物を狩ることは稀で 、主に植物を集め 、昆虫を捕まえ 、小さな動物を追い求め 、他のもっと強力な肉食獣が後に残した死肉を食らっていた 。初期の石器のごく一般的な用途の一つは 、骨を割って中の骨髄をすすれるようにすることだった 。

ライオンが獲物を仕留めてそれを食べるのを人間は遠くから眺めていました。

そして食べ終わってあっちにいった後、出て行くのかと思いきやまだ待ちます。

ハイエナやハゲタカが残飯をあさりにくるからです。

彼らが満腹になってどこかに立ち去った後、ようやく人間たちは出てきて骨から骨髄を削り出して食料にしていました。

なんか惨めですね。

こんな圧倒的弱者だった人類に転機が訪れたのは、火を使うことができるようになってからです。

火を使う動物はいません。人間は自在に火を操りながら、それまで脅威だったケモノを追い払い、食べることができなかった植物や肉を調理することができるようになりました。

調理すれば 、嚙むのも消化するのもぐんと楽になった 。チンパンジ ーが一日五時間も生の食べ物を嚙んでいるのに対して 、調理した食物を食べる人間は 、たった一時間あれば十分だった 。調理をするようになったおかげで 、人類は前よりも多くの種類の食物を食べたり 、食事にかける時間を減らしたりでき 、小さな歯と短い腸で事足りるようになった 。

火によって 、人類と他の動物との間に 、最初の重大な隔たりももたらされた 。ほぼすべての動物の力は 、筋肉の強さや歯の大きさ 、翼の幅など 、自らの身体を拠り所にしている 。動物たちは風や水の流れを利用することはあっても 、そうした自然の力を制御することはできないし 、つねに自らの身体的構造の制約を受ける 。(中略)人類は火を手懐けたとき 、従順で潜在的に無限の力が制御できるようになった 。ワシと違い 、人類はいつ 、どこで火を起こすかを選ぶことができ 、また 、火をさまざまな目的で利用することもできた 。そして 、これがいちばん重要なのだが 、火の力は 、人体の形状や構造 、強さによって制限されてはいなかった 。たった一人の女性でも 、火打ち石か火起こし棒があれば 、わずか数時間のうちに森をそっくり焼き払うことが可能だった 。

こうして人類は生物界で確固たる地位を獲得しました。

効率化が進んで、人類はたくさんの子孫を残せるようになり、活動範囲も広くなって、どんどん遠くへ移り住むようになります。

しかし、移り住んだ先で目にしたものは、同じように火を使って繁栄した他の人類でした。

私たちは「ホモ・サピエンス」と呼ばれます。今は人類というとホモ・サピエンスしかいないのですが、大昔はいろんなのがいました。

ネアンデルタール人やホモ ・ソロエンシス、ホモ・デニソワなんていう人たちがいました。

しかし、今、彼らはいません。残っているのはホモ・サピエンスだけで、他は全部滅んでしまいました。

これは長い年月をかけて、人類同士で争った結果だといいます。

身体能力では、ネアンデルタール人の方が優っていました。

一対一ではホモ・サピエンスに勝ち目はありませんでした。

しかし、彼らはホモ・サピエンスに負けました。

なぜなら、ホモ・サピエンスは言語を操る能力に長けていたからです。

サピエンスの成功の秘密は何だったのか ?私たちはどうやって 、これほど多くの 、遠くて生態学的に異なる生息環境に 、これほど速く移り住むことができたのか ?私たちはどうやって他の人類種をすべて忘却の彼方へ追いやったのか ?なぜ 、強靭で 、大きな脳を持ち 、寒さに強いネアンデルタ ール人たちでさえ 、私たちの猛攻撃を生き延びられなかったのか ?激しい議論は今なお尽きないが 、最も有力な答えは 、その議論を可能にしているものにほかならない 。すなわち 、ホモ ・サピエンスが世界を征服できたのは 、何よりも 、その比類なき言語のおかげではなかろうか 。

ここまでが第1章です。こっから「言葉のどのような機能がホモ・サピエンスに勝利をもたらしたのか」という話に入っていきます。

人類の歴史は闘争の歴史ですね。

人類は「ただ強い」というだけで「最強」の座を得られたわけではないというところが興味深いです。

今もいろんな戦いをしている人類ですが、どうしたら「勝てるのか」。そのヒントが書かれているような気がします。

漫才から学ぶ、面白い話に共通の構造

「面白い話ってどうなっているんだろう、漫才を研究したら話が面白くなるだろうか。」と考えて本を読みました。

笑いの原理

面白さとは、「緊張」と「緩和」のギャップから生まれます。

たとえば、すごく真面目そうなサラリーマンがバナナの皮で滑って転ぶ。

このとき、サラリーマンが「緊張」でバナナの皮で滑ることが「緩和」です。

笑いというのは 、 「緊張 」と 「緩和 」です 。緊張と緩和の落差があればあるほど笑いになりやすいんです 。

ですから、面白い話がしたいという時には「自分がどういうキャラか」を知ることが基本になります。

なぜなら、自分の今のキャラが「緊張」に当たるからです。

キャラによって、面白くなる「オチ」は変わってきます。

漫才を作る上で最初に考えなければならないことをお伝えします 。それは 「キャラクタ ー 」です 。なぜかというと 、キャラクターは漫才において 、すべての 「フリ 」になるからです 。キャラクターがないと 、フリもオチも作れません 。例えば 、怖いお兄さんキャラがいたとします 。その人の携帯の着メロが鳴ったら 、アニメの歌だった 。この場合 、フリが 「怖いお兄さん 」で 、オチが 「アニメの着メロ 」です 。

キャラが怖いお兄さんならアニメの着メロが「オチ」になります。

しかし、キャラがアニヲタだったらアニソンはオチにはなりません。

まずキャラクタ ー決めると 、自ずとボケの内容も決まっていきます 。

フォローが入ってはじめて笑いになる

そして、オチだけでは笑いにはなりません。必ずフォローがないといけません。そのフォロー役が、漫才では「ツッコミ」なんですね。

ツッコミの役目は 、お客さんに対して 、ボケの人の説明をすることです 。 「この人は面白い人です 。だから笑ってください 」ということを分かりやすく提示する役割がツッコミなんです 。だからツッコミの人は 、ボケを助けるツッコミのパタ ーンをどのくらい持っているかがポイントになります 。

私は「ツッコミとはボケを指摘する役」なのかと思っていました。そうではなく、フォローなんですね。関西人にしたら「そんなん当たり前やろ、今さら気づいたか関東人。」と思うかもしれません。

重要なのは 、フォロ ーで初めて笑い声になるということです 。フリとオチだけでは 、笑い声にならないんですね 。

たしかにフリとオチだけだと痛々しい場面になってしまう可能性もあります。それを笑えるよう助けの手を伸ばすのがツッコミだといいます。

関西人はうまくツッコんでもらわないと怒るといいますが、そういうわけだったんですね。生まれるはずの笑いを生み出せなかった、その嘆きが怒りとなっているんですね。

そう考えると、トーク番組での明石家さんまのツッコミの入れ方って天才だな。

笑いの掛け算

笑いは「フリ」「オチ」「フォロー」が揃えばなんでもネタにできます。

人が死なない限り何でもネタにできるんです 。

漫才では話が進むほどに笑いがエスカレートしていきますが、それは前の話に続けて次の話が出てくるストーリーができているからです。

ストーリーの中にいくつもの「ボケ」を入れていきます。

いくつもの「ボケ」は、前のボケを引き継ぎついでだんだんおかしな方向に流れていくことで、笑いがどんどん大きくなっていきます。

ボケを並べるに当たっては 、起承転結それぞれに 、 「あるある 」 → 「ありそうありそう 」 → 「なしなし 」の山ができるのが理想。

はじめはちょっとしたズレがだんだんエスカレートしていくというのが笑いの王道です。

たとえば、すごくわかりやすい笑いを作る陣内智則。海外でも披露したという「バッテイングセンター」のコントはこうなっています。

はじめは普通にボールが飛んできます。

「あるある」

しかしだんだん本格的な野球になってきて、ピッチャーが牽制球を投げます。

「ありそうありそう」

ピッチャーがどんどん変なことをしだします。

「なしなし」

そして「なしなし」が続いて行って、最後のオチまでつながっていきます。

「笑いの足し算 」というのは 、 1個のフリに対していろんなボケを言うことですが 、 「笑いのかけ算 」は 、前のボケをフリにした天丼(繰り返し)を入れたり 、前のボケにプラスしたボケを入れていくということです 。 「あるある 」 「ありそうありそう 」を土台にしているから 、 「なしなし 」が成立するという笑いのかけ算です 。

自然体でいることとリズム

しゃべりはあくまでも自然体で。

「その場で立ち話をしているように 」見せることが大切です 。今思いついたようにしゃべらないと 、予定調和になってしまい 、笑いになりません 。

そしてリズムも大事です。ナイツはテクノミュージックを漫才のリズムとして参考にしているそうですよ。

テンポと 「間 」について説明しましょう 。これらも 、漫才ではとても重要です 。昔からある練習法としては 、メトロノームを使って 、一定のテンポでしゃべるやり方があります 。

ストイックですね。テンポが安定していないだけで聞いている方が不快になるというのは、私は何度も経験しています。

おわりに

笑いを作るには、「フリ」と「オチ」と「フォロー」が必要です。

この三つが揃えばどんなことでも笑いに変えることができます。(ただし人が死なない限り)

フリはキャラクターから生まれます。フリしだいでオチは決まってくるので、ボケのキャラがどういうものか把握しておくことが必要です。

ボケはだんだんエスカレートしていくことが王道です。「あるある」→「ありそうありそう」→「なしなし」な話へ繋いでいきます。

今日は以上です。

客観的な事実だけが真実ではない時代に突入。「ポスト真実」とは。

ご存知ですか?「ポスト真実」という言葉。

私は先日初めて知りました。

オックスフォード英語辞書が毎年発表している「世界の今年の言葉」というのがあるのですが、2016年の言葉は「ポスト真実」でした。

「ポスト真実」が今年の言葉 英オックスフォード辞書 | BBCニュース

日本の流行語大賞「神ってる」が意味不明すぎたために世界の流行語をまったく知りませんでしたが、この「ポスト真実」という言葉は今の世の中を象徴した言葉なんだそうですよ。

ポスト真実とは

「ポスト」は「先」という意味なので「ポスト真実」は「真実の先」という意味です。

普通、真実というと一個しかないものだと私たちは思います。そして科学的に証明できるものであると思いますね。

しかし、最近は「客観的な事実がどうかより自分がどう感じてるかの方が大事やろ!」という流れが強くなってきているのです。

ジャーナリストの森田浩之は「事実がもはや重要ではなく、『どうでもよくなった』状況」を意味しており、「真実は死んだ。事実なんて時代遅れ。重要なのは個々の感情であり、自分が世の中をどう思うかだ」というようなニュアンスの言葉だろうと述べている。

この流れを象徴した出来事が「イギリスのEU離脱決定」と「トランプ政権の誕生」でした。

冷静に考えれば、イギリスはEUに残った方がお得だったし、トランプ氏が当選したらとんでもないことになることがわかっていました。

しかし、イギリスやアメリカの多くの人たちは客観的な判断より自分たちの感情を優先させたんですね。

イギリス「EUとか理想論語ってんじゃねーよ、そういうのもううんざりなんだよ!好きにやらせろや!」

アメリカ「世界の面倒ばっか見て超大国気取りなんてやってらんねー!俺たちは俺たちらしく生きていくんだっ!」

ロックですねー。生き方がロックです。

こういう流れがあちこちで起きているので、「今までの『真実』の先を行く考え方」ということで「ポスト真実」と名付けられました。

ポスト真実はかつて通った道

これは新しい考え方のようにも思えますが、昔は当たり前だった考え方でもあります。

科学が大手を振るうようになったのはここ数十年のことです。その前は「客観的判断に基づいた真実」なんて誰も気にしなかったんですよね。みんな自分が感じた通りのことを真実だと思っていました。

たとえば、昔は太陽の周りを地球が回っていたのではなくて、地球の周りを太陽が回っていたんですよ。

だってそう見えるから。

昔の人「どうみたって太陽が東から昇って西に沈んでるじゃん。ガリレオってバカじゃねーの。」

こうした、客観的事実を考えずに自分がどう感じているかが大事にされていたし、世界を治めていました。

それが、科学の台頭によって封殺されました。

科学「客観的な証拠があってこそ真実。理性的な判断ができないなんて猿のすることだ。」

こうした考え方が今まで続いてきたんですね。

しかし、最近は科学の限界というものが見え隠れしています。いくら科学が発展しても人々は幸せになりませんでした。むしろ息苦しく生きづらい。

1950年代には、家電が普及すれば主婦は家事から解放されると思っていたんですよ。

しかし、それが実現した今どうなっているかといえば、家事から解放されるどころか共働きが当たり前になっている。これはどういうこっちゃねん。

ということで、今また回り回って感情論に立ちもどろうとしています。

まるで季節が巡るように、歴史も巡っています。回る回るよ時代は回る。

しかし、過去とまったく同じようになるわけではありません。去年の春と今年の春がまったく同じではありません。これからどうなるかはまだわかりませんが、今までの科学技術の発展を活かしながら、人間らしさの探求へと進んでいく、というのが元哲学をやっていた者としては願うところではあります。

今はテクノロジーの発展によって世界が身近になりました。自分の考えが当たり前ではないということを毎日見聞きしますね。

たとえば、私たちが「テロリズム」と呼んでいる行為は、している側からすると「聖戦」です。

日本は「アメリカと協力してテロを撲滅する」という態度を取っていますが、過激派から見た日本は「アメリカの力に屈した弱者。」です。ジャイアンに逆らえないスネ夫といったところです。

このように、同じものを取っても真実が違うのが今の世界情勢なのですね。答えがいくつもあります。科学的には答えが出ない問題に私たちはぶつかっています。

これはまるで、漫画ワンピースで海軍が正しいのか海賊が正しいのかというようなことです。

連邦軍とジオン軍のどちらが正義なのかということです。

これまでの科学の発展で、そのできることと限界が見えてきました。

そして科学の発展によって開かれた世界が、新たな問題を私たちに突きつけてきました。

今までの真実からさらに進んだ答えを出そうとしている動きが始まった。それが「ポスト真実」の意味なのだと思います。

目指すは血液サラサラより血液たっぷり。少ない血液を酷使するより血液が働きやすい体内環境づくりが大事

人間には60兆個の細胞があります。

そのうち、血液細胞は20兆個あるといいます。

体を作る細胞の3分の1が血液なんですね。

だから「健康」といったときには血液は切っても切れないわけです。

私は、食後に眠くなってしまう問題が血流にあることに気づいて、自分なりに「血流を増やそう」と努力してきました。

http://shinyaowari.com/shake-off-sleepiness

だから、本屋でこの本がベストセラーに並んでいるのを見かけたときは「みんな考えてることは一緒なのか。」と思いましたね。

漢方の先生が書いた、血の本。

漢方には“気血”という言葉がある通り、その巡りをどうつくるかを中心に話が進んでいきます。

西洋医学はストックの話が多いですが、東洋医学はフローの話が多いですね。会社の経営にはストックとフローの両方が大切ですが、法人だけでなく個人もその両方が大切です。

ちなみに「ストック」とは「会社にどれだけお金があるか」ということで、「フロー」とは「そのお金がどう使われているか」ということです。

人に例えるなら「ストック」は「今どういう体の状態なの?」ということを表す言葉で、「フロー」は「その体でどういう生活をしているの?」ということを表す言葉です。

だからストックとフローの両方が健全でこそ会社も人も健康なんですね。

本を読んでみて気づいたのですが、これは「女性向けに書かれた本」ですね。女性の体の特徴に配慮して書かれています。

しかし、男性でも参考になる点が多くあります。

「血液細胞は20兆個もあるんだよ」というのもその1つです。血についてのいろんな知識を得ることができます。

いろいろ書いてありますが、本の核心は「血液を作る体質を作る」「血液を増やす」「血液を流す」ことの3つが血流を良くする方法なんだということです。

血流を良くする方法

1.血液が作られる体質を作る

2.血液を増やす

3.血液を流す

私が今まで間違っていたのは、「血を流そう」とばかりしていたことです。

よく「血液サラサラがいい」といわれます。私もその考え方を知ってから水をたくさん飲んだりしてましたが、考えが行きすぎていつのまにか「停滞している怠けモンの血さえ流れるようにすればええんや!働け!」という考え方になっていました。血液をビシバシ働かせれば体全体の利益になるんだと。

しかし、これではまるで、少ない人数で長時間労働をさせるブラック企業ならぬブラック個人です。

ビシバシ働かせるだけでは根本の問題解決にはならないのだと、本を読んでわかりました。

大切なのは「血液を流す」ことだけではなくて、「血液を作る」ことと「血液を増やす」ことです。

なんと、女性の9割は血液が足りてないそうですよー(他人事)

ではどうすれば良いかというと、まず「血液が作られやすい体質」を作って、そして「血液を増やすための原料を十分に摂る」ことです。

その上で「血液がよく流れるようにする」努力をしてこそ、健康な体ができ、健全な経営ができるということです。

詳しくは本書を読んでいただきたいですが、一つ挙げると、血液を増やす原料にはたんぱく質が大きく関わっているそうです。

まあ体がたんぱく質でできているのだから、体の3分の1を占める血液もたんぱく質ですな。

だから、たんぱく質は十分に摂ったほうが良いのですが、近年はその摂取量が減っているらしいのです。

戦後、私たち日本人の食生活は劇的に変わり、たんぱく質の摂取量は増え続けていました。ところが、近年になって過度のダイエットや偏食傾向の影響で、たんぱく質の摂取量は激減!今や1950年代と同じくらいまで落ち込み、摂取するべきたんぱく質の量が摂れていない人も増えているのです。

過去に草食系がはやったせいでしょうか。20年前には1日あたり81.5gも摂っていたのがどんどん減り続けているそうです。

「もっと肉食いましょ」と本で言っていました。

ただ肉も高いですからね、出費との兼ね合いも考えて、私はプロテインも使ってます。


↑とりあえず安い。おいしくはない。

おわりに

血流が良くなると、顔色が良くなったり、髪の毛の質も良くなります。

活動的にもなりますね。

あと頭に血がちゃんと供給されるので、頭の回転も速くなります。

本には「精神的にも良い」と書かれています。脳に血液が回るということは、神経伝達物質もよく巡るということで、それで精神的にも良いんですね。

血がよく流れるだけでいろいろなことが変わるんだ、ということが本書の主張でした。

考え方が違うと文章の書き方も変わる。日本と欧米の本を何冊か読み比べて感じたこと。

月額980円で本が読み放題のキンドルアンリミテッドが登場したり、本とカフェが一緒になった「book & cafe」ができたりと、最近はお金を使わなくても本が読みやすくなりました。

いろんな本をかじっていると思うのは、「日本と海外で文章の型が違うな」ということです。

実用書に限ると、洋書はとても「実例が多い」です。

筆者の主張に対して「こういった例がありますよ」というエピソードをこれでもかというくらいたくさん盛り込んできます。

それがたいてい実在の人物や組織で、日本人からしたら誰なのかわからない人も多いのですが、「彼らははじめはうまくいかなかったが、こういうことをしたらうまくいったのだ。」という成功体験がハリウッド映画仕込みの描写力でいくつも並べられていきます。

超具体的な例ばっかり連続して並べてくるので、真剣に読み続けていると頭が痛くなってきます。まるで肉ばっかボンボン出してくるようにすげーボリューミー。お腹いっぱい。

かたや日本の実用書には具体的な実例が並べられることがあまりありません。出てくるときも実名は伏されます。わりと低カロリーでヘルシーです。

なんでこうした違いが出るのかということを考えたのですが、日本は「人」が中心にあって欧米は「法」が中心にあるからなんだと、そうした根本的な考え方の違いがあるからなんだという結論に行き着きました。

日本では、何かの教訓を得る時、教訓からではなくて、人を中心にもってきます。

“人”を中心に持ってきてそこから「人生の教訓」だとか「生きる目的」といったものを“肌で感じる”ような作りになっています。

たとえば、『プロジェクトX』もそうだったし『情熱大陸』も、人を主題にして、視聴者はその人からいろいろなことを学ぶといった方法をとります。

欧米は逆で、“法”が先にきます。

先に「人生の教訓」「生きる目的」みたいなものを提示して、そこから同じ教訓で生きてうまくいった人を列挙していく。

こんな違いがあります。

面白いですね、考え方の違いで表現にも大きな違いが生まれます。

本を読みながら文化の違いを感じたので、記事にしてみました。

ストーリーは機械には作れない。自分の中にストーリーを見つけよう

なぜ人は優れたストーリーに心が動かされるのでしょうか。

すべてのストーリーは極論すると、「作り上げられた環境や圧力」VS「そこから自由になりたい情熱」のぶつかり合いによって生まれます。

極めて人間的な都合同士のぶつかり合いなので、これから様々な分野で自動化が進んでいくとしても、ストーリー作りはアナログでし続けられるでしょう。

ですから、これからの時代を生き残るには、リアルだとしてもフィクションだとしても、ストーリーを見つけられるかが鍵になるだろうと思います。

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少し良いものを買ったほうが、結果的に節約できる

節約するために、お金を基準にして考えると気持ちがついていかないということがわかりました。

節約というのは、極論すれば「金さえ使わなければ良い」ということなので、削ろうと思えばどこまでも削ることができます。今は安くて品質もしっかりしているものがたくさんあります。

しかし、それで自分が満足できるかというと、そうではありません。

満足できていない気持ちは、どこか別のところで埋め合わせをしようとします。

節約のために無理をしていると、ときどきパーっと使いたくなる衝動にかられる時があります。

それで結局節約になっていない、そんなことになります。

これはたとえるなら無理してダイエットしてリバウンドが起こるようなものです。とにかく数字にこだわって痩せても、そこに気持ちや体質がついていっていない場合、思わぬしっぺ返しを食らうことになります。

お金も体重も、数字より気持ちを大切にすべきですね。

無理して節約を失敗した話

私は毎月の出費の中で、家賃の次に大きいのが食費です。家賃は固定費なので引っ越さない限り減らすことはできませんが、食費は工夫次第で減らすことができます。

私は以前、どこまで食費を減らせるかチャレンジしたことがありました。

男はときどきこういうわけのわからないことをしたがるものなのですよ…。

何を減らせるかと考えて、目に付いたのが米びつ。私は料理をあまりしませんが、いつもお米は炊いているので、米代を減らすだけでかなりの節約になります。

「究極的に安い米を探そう」

そうして米探しの旅が始まりました。店舗をいくつも回りましたが、安くても5kg1600円くらいが相場。業務スーパーの1500円が限界。もうダメかと思ってネットを調べたところ、次元が違いました。安いものを探すと出てくる出てくる。

そして見つけたのが30kg6000円台のお米でした。

「5kg1000円…」

ヤバい米かもしれないとレビューを見ましたが、みんな「美味しい」と書いている。割れている粒やシラタ(白くなったお米)が多いけど値段を考えたら良い品だと。そこでポチってみました。

数日後、佐川のお兄さんがゼエゼエ言いながら届けてくれました。

すいません、興味本位で30kgも持たせてしまって。

さっそく炊いてみました。炊きあがりは、もっちりしてるとか、粒が立ってるとかは、まったくない。むしろパサパサしている。ご飯として食べるよりチャーハンにしたほうが美味しいんじゃないか、そんなお米でした。

でも、これで食費が浮くなら良いだろうと、30kgがなくなるまで毎日そのお米を使うことにしました。

しかし、だんだんそのままで食べるのが苦痛になってきました。何かと混ぜないと食べたくなくなる。しまいには「家に帰ってまたあの米を食べるの嫌だな」となって外食が多くなってしまいました。

おいしいお米にある甘みや食感の楽しみがまったくなくて、ただ炭水化物の塊を胃に放り込んでいる作業になっていました。

きっと、あの米は育ち盛りのお子さんがいるご家庭や、増量中のアスリートにはぴったりだと思います。

しかし、これ以上育ちようもない私の体には合いませんでした。

それでお米を変えました。コシヒカリに。すると食事が楽しくなり、外食が減って結果的に食費も減りましたとさ。

おわりに

私は昼食用におにぎりを作って持っていくことがありますが、真夏、前の晩に炊いたご飯を持っていったら昼過ぎにはちょっと嫌な臭いがしました。

「そんなの当たり前だろバカだな」と思われるでしょうが、30kg1000円の米では腐らなかったんだよね…。

そのせいで「ご飯は常温でも1日もつ」という先入観が私の中にできていたのでした。黄色ブドウ球菌も食べたがらない米。あの米はほんと強い、間違いない。

なんでもそうですが、自分に合うものが一番です。食べ物も自分の口に合うものが一番です。レビューでいろいろ書かれているのだとしても、それが自分にも当てはまるかといえばそうでないこともあります。

結論は、「値段は少し張っても自分に合うものを選ぶことが、体にも心にも財布にも優しい。」